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2026年1月25日
わたしの教会ストーリー 025 原一平さん 「私の教会での歩み」

わたしの教会ストーリー 025
原一平(はらいっぺい)さん
「私の教会での歩み」
天地創造以前にすでに言葉があった(ヨハネ福音書1章1節)
この言葉に命があった(ヨハネ福音書1章4節)
(関東学院第七代学院長柳生直行訳から抜粋)
主に支えられていることを強く感じている言葉です。
バプテスマ(浸礼=全身を水に沈める洗礼)を受けたのは、私が博士の学位を取得した後で、加納政弘牧師から1982年12月12日、旧礼拝堂でクリスマスの期間でした。バプテスマ式と信仰告白式は、同日ではなく、加納師から「水は冷たくないでしょう。」と言われた記憶があります。確かに冷たさは感じていません。
私と関東学院の関係は、祖父の係わりからです。祖父は、原覚天と言いアジア経済分野で先駆けとなった経済学者で、1971年に関東学院大学名誉教授になりました。祖父は名古屋大学で経済学博士号を受けているので学歴にもそのように記載すれば良いのですが、必ず1924年法隆寺勧学院仏教科卒業と書いています。それは、勧学院で学んだ「唯識学」に由来しています。お気付きでしょうが「覚天」という名前は、僧籍名です。勧学院では、「唯識学」の権威者であった法隆寺管長の佐伯良憲師の直弟子でした。「唯識」とは、遠藤周作の言う「アラヤシキ」と考えてもらえば良いと思います。
祖父が経済学者として関東学院で教鞭を執り続けたのは、白山源三郎先生や、経済学部の同僚である先生方との交わりで、祖父の唯識の理解と合致したからだと考えています。私の信仰告白式の後、北見彌生先生から祝福の言葉と共に「バプテスマを受けたことを祖父がどう思っていますか。」と聴かれました。感謝ですがまだお答えできないでいます。
私は、機械の分野に進みました。師は、関東学院大学名誉教授の大道寺達先生です。ディーゼル機関の権威で、クランクレス機関の研究・開発者でした。私に研究の作法を教えてくださった生涯の師です。先生のご両親は、北海道に住むキリスト教徒の医師ですが、先生は、大学紛争時に2回学長職を受けられ多忙を極め、生前に洗礼を受ける機会を逃し悔やんでおられました。加納先生に前夜祭・告別式の司式をお願いし、納骨式は、ご親族と弟子の小倉勝先生、島本聡先生、真由美さん(後述)と私が参列し、参列の皆様の同意で真由美さんが司式を行い、聖句を刻んだ墓石の下に納骨しました。最後のお別れまで私が係われたことを主に感謝しています。
加納政弘師への思いは多いですが、私のバプテスマについて「少し長く待ちすぎていますね。そろそろバプテスマですね。」と話されたことを覚えています。教会では、バプテスマ以前から青年会の集まりに参加していました。丹野真人師、吉原真理子姉、木村敏志兄、土岐達美兄、血脇敏雄兄、塚田好四郎兄、吉原祥子姉、杉本(岡田)由紀子姉、石綿克典兄、故山田崇浩師、瀬沼敦子姉、森田則子姉などお名前を懐かしく何人も挙げられます。主は楽しい時と思い出を与えてくれました。日曜日午後、青年会の活動として皆で葉山、鎌倉材木座、森戸海岸へ出かけていました。遊びが過ぎていた面もありましたが、大切な友人・同志であり、信仰を養う仲間でした。この時の方達は、今でも同信の信頼できる方達で、今でも随分無理をお願いしてしまいますが悪いと思ったことはありません。何とかやって貰えるだろうと甘い考えを持っています。この後、丹野師から青年会を引き継ぎましたが、受けることに迷いは有りませんでした。因みに私の後は故山田師が青年会を引き継ぎました。金曜日の午後は、加納先生を講師に青年会で学習会を持ったのですが、もう少し旧約の話を学びたかったと残念に思っています。会員が就職で平日・昼間に集まるのが難しくなって何年か続きましたが解散しました。
教会学校では、故田上雅章先生、田上澄子師が支えでした。携わったCSの生徒たちのことを今でも思い出します。一人はCSの生徒であった安田兄の早くに事故での召天です。もう一つは、CS生徒彦坂昌子姉の不慮の死(殺人事件)が大学構内であったことです。なぜ私より若い人が先に天に召されたのかこの年になっても整理がついていません。何でという思いがずっと残っており、主の思いをいつか知りたいと思っています。
教会では、大島良雄・故敬子先生御夫妻、故富田富士雄・故靜子先生御夫妻、故北見俊朗・故彌生先生御夫妻、故吉原弘・故千恵子先生御夫妻、故鈴木利保兄、故瀬戸川保兄、故佐々木昭子先生とお話しする機会が多く持て、信仰の多様さを知るきっかけとなりました。大島先生のご教示、北見先生のご厚情、吉原先生、鈴木兄、瀬戸川兄、佐々木先生のご教示に教えられることが多々ありました。
青年会の友利(原)真由美姉(現ベターハーフ)とのきっかけは、大道寺先生の大学最終講義の時、最後に花束を渡す女性がいないことで、偶然構内で彼女にお願いしたことに由来します。今、夫婦ですが、真由美姉はかって捜真バプテスト教会の伝道師の働きをしていました。結婚により辞め、代わりにアメリカの神学校で学ぶ機会を得てこれを承諾させられました。彼女は、博士の学位を得て学んだ主の働きについて単著と共著併せて5冊の著作を著しています。今、共に2人して主の基に生きています。

私は、登山が好きです。学生時代から山岳部に入り山に入り浸っていました。今もまだ思うのは、雪の富士山で滑落した友人を止めようとした仲間が止めきれず天に召されたのですが、滑落した友人は生き残ったと言う出来事です。一人では耐えきれず丹野師と話しました。深山では、朝日が入るときの景観は、まさに神の住む座と感じます。モーセが山に登り、主に祈られましたが、そのことを実感できます。北アルプス穂高連峰の穂高岳涸沢での目覚め。剣岳を望む三田平、中央アルプスの千畳敷の圏谷(写真)。雪に覆われた圏谷の姿には畏敬の念を感じ自然に主を祈っています。

「ボルダーバプテスト第一教会」

礼拝堂にて

歓迎会(ハフエッカー宅)
米国のボルダーバプテスト第一教会(現パインストリート教会)との姉妹教会の交わりに触れなければなりません。チャールズ・ジュディ・ディローフ宣教師夫妻の手助け、故ケリー・ハスラー兄、故ミルトン・ネバ・ハフエッカー夫妻の尽力、ボブ前牧師との交わり、何回かの日本とアメリカへの相互訪問の繰り返し交わりがあり、今でも交流が続いています。交流には松田和憲・真智子先生夫妻もご一緒で、松田先生が関東学院の大学生を引率して訪問したことがあったことも付け加えておきます。
教会の事業として関東学院教会追浜チャペル献堂があります。教会創立の初めから話があり繰り返し頓挫していた自前の教会堂建設です。2010年の追浜チャペル建設完成の実行委員長として携われたことは、主の導き・働きと教会員のご協力によってであり全てを感謝します。この事業の前に先人の思いを振り返り、ビジョンプロジェクト(VPT)活動で地域調査を踏まえられたことも主がフィッシュボーンを示したものと感謝しています。

「追浜チャペル」

献堂式礼拝
設計に尽力された田川力先生に感謝しています。また、この礼拝堂には大場節子姉が作成した未來(主)に向かい羽ばたく意のステンドグラス(ノアの箱 船がモチーフ)が飾られています。このような主の配慮により各種の係わりを経て完成できたことが同盟理事・役員、他の個別教会の方々、ボルダーバプテスト第一教会の方々、学院の増田前理事長・他理事・教員の方々、キリスト者でない方々の思いに通じ、助けてもらえたという感謝に繋がっています。
同盟の日本バプテスト神学校建設で3610運動(戸塚に校舎・宿舎を建設するために全国の同盟教会員からの献金運動)に係わりました。これが、現在同盟監事としていろいろなお役に係わることになった始まりです。この後も日本バプテスト同盟、関東学院のご用が幾つか待ち受けていますが、主に命じられていることと心しています。主が共に支えて下さることを実感していますので安心し感謝して進められると思っています。
栄光讃美











