教会へいってみよう

関東学院教会へのアクセス

お問い合わせ

TOPICS

2025年11月14日

わたしの教会ストーリー 024 山林義弘さん 「神様にすがる者として歩む感謝」

 

わたしの教会ストーリー 024

山林義弘(やまばやしよしひろ)さん

「神様にすがる者として歩む感謝」

わたしが初めてキリスト教に触れたのは、関東学院六浦中学校の入学によってでした。ただ、当時は以前から守ってきた宗教があったので、キリスト教は知識にとどめて置くだけにしていました。

わたしが大学に通っていたころ、キリスト教系の新興宗教の人が、家に来るようになりました。母には三男にあたる私の弟を喘息で失ったこともあり、玄関にあげて話を聞いておりました。少ししてから、母方の従姉がアメリカ人の神学生と結婚することとなりました。関係の教派のキリスト教会では英会話教室が開かれており、母はそこに出席するようになりました。しばらくしてから、その教会が参加する超教派のキャンプのお知らせがあり、私はそれに参加しました。そこで、キリスト信仰により病から回復したという証しが語られました。そして「今日、ここでイエス・キリストを救い主として受け入れたい方は手を挙げて下さい。」という招きの言葉がありました。亡き弟のことを思い起こしていた私は、その招きに手を挙げました。それから平日の準備教育と並行してその教会の礼拝にも出席するようになりました。

そのキリスト教会に出席をして1年近くなったころ、中高時代の校長の石田昭義先生※1)から、「関東学院を出たのだから、バプテストの教会に行きなさい。」と言われました。わたしが住んでいる釜利谷というところに、金沢文庫キリスト教会というバプテストのキリスト教会があることに気が付きました。そこは以前本を借りに行ったことがあり、知らず知らずのうちに関わっていた身近な教会でした。そこに改めて求道者として通うことになりました。そこで1年出席した中で、バプテスマ(洗礼)の促しを受けました。弟を失うことによって意識した死は、人の罪の故に払う値であり、イエス・キリストは自らの死をもって人間一人ひとりの罪を贖われたということを信じるという告白をもって、わたしは関東学院大学の卒業年度にあたる1992年12月20日のクリスマス礼拝でバプテスマを受けました。

大学新卒で2年余り会社員として過ごし、その後に鍼灸師を目指すことにしました。養成学校を経て訪問マッサージの仕事をするようになりました。その間、教会では聖歌隊に加わり、奏楽も行うようになりました。訪問マッサージを数年行った後、日本バプテスト神学校で学ぶ道が示されました。がその時は丁度入学試験が終わった後のため、科目履修生として学びを始めることになりました。そして、その次の年度に教師コース神学専門課程の入学試験を受け、入学しました。神学校の2年生の時、関東学院教会に実習生として関わりました。この時は超教派のプログラムに参加し、自分の信仰のとらえ方を考える機会にもなりました。

卒業後には、所属していた金沢文庫キリスト教会で伝道師としての働きに入りました。この時には訪問マッサージの仕事にも付き、また介護職に移って働いたりもしました。金沢文庫キリスト教会での伝道師としての契約が3年目で満了することがわかり、年明けてから転任先をさがしました。この時に日本バプテスト横浜教会に就任を申し出ることにし、受け入れていただきました。それに並行する形で鍼灸院に勤務することにもなりました。その鍼灸院を2年して退職すると、2級ヘルパーの資格を取り、就職活動を行いました。主日礼拝(日曜日の午前の礼拝)と平日夜の集会に影響しない職場を求めての資格取得でしたが、同じ条件での就職希望者が多く、不採用が続いていました。私は、条件を出さずに就職することにして、年明けに有料老人ホームに勤務する職員として就職試験を受け、採用をいただきました。

その職場が日曜出勤もある勤務形態のため、伝道師としての職務に支障をきたすようになりました。そして、4年目に伝道師の任期が満了となり、それからは信徒として在籍を継続しました。そしてなお、わたしはキリスト教に関係する奉仕をしていきたいと思い、横須賀基督教社会館(横須賀市田浦にあるキリスト教精神に基づく地域に開かれたコミュニティセンタ―)や衣笠ホーム(キリスト教指導者たちの祈りの中で創られたキリストの愛に基づく働きをする衣笠病院グループの特別養護老人ホーム)でボランティアをするようになりました。しかし2020年のコロナウイルス流行で、そうした活動ができなくなりました。仕事は毎冬のインフルエンザ対応で続けることができましたが、教会礼拝は対面ではなく動画視聴で行うものとなりました。翌年の春にはわたし自身がコロナに感染し、10日間家で過ごすこととなりました。仕事に戻ると勤めていた老人ホームでコロナが蔓延してしまい、感染対応に追われることとなりました。

関東学院教会との関りは、コロナ以前の講壇交換(その時だけ教会間で説教者が交替すること)からでした。追浜チャペルでの18時から始まる夕礼拝での説教に来させていただきました。当時は日曜日でも退勤が18時や19時の時もありましたが、16時での退勤の際に出席し、御言葉をつなげて一週間を過ごせることに感謝していました。コロナの時には出られませんでしたが、収まってからは15時や16時に退勤することが普通になり、夕礼拝にまた出られるようになりました。そうした中で、わたしは関東学院教会への転会を考えるようになりました。それからは日曜日が仕事休みの日も含め、毎週、夕礼拝に出席することにしました。そして2023年の4月から関東学院教会の教会員としての歩みを始めました。

関東学院教会での生活を始めた年から、わたしは以後3年にわたり、フランスからスペインに続くサンティアゴ巡礼路を歩いてきました。個人での海外渡航は大学卒業旅行の英国以来で、フランスとスペインの入国は初めてでした。1年目はパリから移動して、巡礼路の出発点のサン・ジャン・ピエ・ド・ポールという村に向かいました。その翌日にピレネー山脈を越え、生まれて初めて徒歩での国境越えを経験しました。そこからはパンプローナとログローニョという大都市も経由しつつ、歩き続けました。ナヘラという町に泊まった時、日焼けでひどい水ぶくれが首のところにできていると言われました。先に進みたい思いはありましたが、その年の巡礼区間を終わりにし、次の年に続きを行うことにしました。ソリアという町に送ってもらい、そこに2泊してからマドリードに向かい、そこから帰国しました。

 

2年目はマドリードからナヘラに移動し、そこから巡礼を再開しました。途中でブルゴスという町を通り過ぎましたが熱中症の疑いがあると言われ、歩くペースも落とすこととなりました。先まで進みたい思いを抑えつつ、レオンという町で2年目を終わりにし、マドリードに戻り帰国しました。

3年目は今年2025年でしたが、予定した飛行機の便が欠航となり、チケットを買い直してマドリードに向かいました。予定より遅い到着になり、当日にレオンに行くには巡礼宿の門限に間に合わないということで、バスターミナルに近いホテルに泊まり、翌日に本命にしていた宿で証明をもらい、巡礼を再開しました。アストルガという町に向かう日には熱中症になり、睡眠の足りないまま出発し、その先の移動にも影響しました。翌日は起床時間が遅れ、イラゴという山を越えて10時近くにポンフェラーダという町に着くこととなりました。それから日焼けや再度の熱中症に遭いつつ、オ・セブレイロという名の峠を越えるまでになりました。ポルトマリンという町で宿泊しようとしたところ、巡礼宿はすべて満室でどこも泊まれないとわかりました。そこで最大の巡礼宿の管理人に宿を探してもらい、宿のないほかの巡礼者たちと一緒にホテルに泊まり、そこから先に進むこととなりました。途中でキャッシングを行おうとしましたが受け付けてもらえず、わずかな現金でサンティアゴの近くまで歩き、直前の村で泊まりました。サンティアゴの町に入って、別のクレジットカードでキャッシングを試したところ、こちらは受け付けてもらえました。

 

 

大聖堂に着いてすぐにそこに入り、使徒ヤコブの遺跡を周りました。巡礼証明をもらったのがそれからだったので、11時の締め切り時間を過ぎてしまい、大聖堂での巡礼数としては翌日分としてカウントされることとなりました。翌日に大聖堂に行き、ミサ(礼拝)に出席しました。すると、煙をだす大きな籠が吊り上げられ、会堂中に振り上げられました。その日までに団体の巡礼者が計上されたことから、この儀式が行われたようでした。計上した人数が少ない日は、教会の祝祭日のみにこの儀式が行われるということなので、貴重な体験となりました。こうして、3年越しで3回に分けてのサンティアゴ巡礼を達成できました。教会の皆さんの祈りと、現地の方々からの助けと、神様の御守りによってなし得たこととして、感謝するものです。
小学生時代に学校になじめず、通信教育を受けはじめ中学受験に至った時も、既に神様の御業があったのだと確信できます。安易に既存の教育に流れないことも、摂理にかなったことなのでしょう。人より苦労はしましたが、神様にすがる者として歩めることに感謝する日々を過ごせています。

 

 

わたしは日曜出勤もある中で、この関東学院教会につながることとなりました。そこから朝の礼拝にも出席することともなり、教会のプログラムにも参加する者となりました。最近、礼拝に、たくさんの中高生たちが出席していますが、学校からの課題のために出席される方もありましょう。教会出席への入り口は人それぞれでしょうが、どのような動機であれ、教会でのより多い人々との交わりは貴重なものです。わたしも迎える心がけをしていく所存ですので。足を運んでいただければ幸いです。

HOMEへ