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2025年5月4日
わたしの教会ストーリー 021 山田美穂子さん 「神様のお導きのままに」
わたしの教会ストーリー 021
山田 美穂子(やまだ みほこ)さん

「 神様のお導きのままに」
私は満州で生まれ、終戦となって約1年をかけて長崎県の佐世保に辿りついたあと、祖母の実家である金沢八景近くの由緒あるお寺に、一家でお世話になりました。そこから、金沢小学校3年生として日本での生活をスタートしたのですが、5~6年生となるうちに、「自分はお寺の子のくせに」何故かその事がピンと来なくて、中学校はミッション・スクールに行きたいという気持ちが強くなり、両親の協力を得て、関東学院六浦中学校に進学、高校・短大へと進みました。そして、誰からも勧められなかったのですが、ミッション・スクールに入ったのだからと自分で思い、恐る恐る、関東学院教会に行き始めました。
当時は、中居京先生(※1)が牧師をしておられましたが、すでにお目を悪くされていて、先生とはほとんどお話しすることがありませんでした。その後、石井晴美先生(※2)が短期間牧会をされましたが、牧師不在の時期が続き、大学の先生方が交代で説教をされたこともありました。その次に時田信夫先生(※3)が関東学院教会の兼任の牧師をされていた時に、他の女性二人と三人で、時田先生の牧会教会である日本バプテスト横浜教会で洗礼を受けました。私は洗礼を受けて、やっと神様は、行くべき所に連れて行って下さったと思いました。時田先生の次は、下田哲先生(※4)が関東学院教会を牧会されたと思います。大分経ってから、留学を終えられた加納政弘先生(※5)が、若いお嫁さんをつれて帰って来て下さった時は、本当にうれしかった!以後の教会の状況(現代史)については、教会の皆様のほうが、よくご存知です。

2017年4月16日 イースター主日 大学チャペルの前で加納政弘師、加納智子さんと一緒に。
話は前後しますが、最高に楽しく充実した中高生時代を関東学院六浦で過ごした後、大学は英語を学びたかったので、国立2期校の大学を志望しましたが、受験に失敗しました。それでは、好きな洋裁をやろうと思って、ある日、洋裁道具を一式揃えて買って帰ったところ、高校のクラス担任の先生が来宅して待っておられ、ひどく叱られました。ひとつやふたつ失敗したからといってあきらめるとは何事だ! まだ受験できるところがあり、そこで留学の可能性があるではないか! と、強く勧められて、関東学院女子短期大学英文科に進学しました。短大在学中に、洗礼(バプテスマ)を受けました。ところが、米国への留学が決まり、渡米の段取りが全て整った時に、病気が見つかって、止むなく2年間療養することになりました。これは、私にとって、かなりのショックでした。尚、高校生のころ、家庭は横須賀に家を購入し、そこに、移り住んでいました。

【写真 バプテスマ記念に教会から贈られた聖書 1956.12.16の日付入り】
病気の後は2年間ほど、ある新聞社に就職しましたが、あまり性に合わず退社して、英語と音楽が好きでしたので、当時出来たての、規模の小さな音楽事務所に転職し、海外の音楽家を日本に招聘して、コンサートを開催する仕事に就きました。その事務所では、主にクラッシクですが、ジャズやカンツォーネの他、あとで述べるような多くのジャンルの音楽家を招聘してコンサートを開き、楽しく仕事をしていました。しかし、もっと広い世界に触れたいと思い、10年間勤めたところで、ロンドンへ行きました。語学学校を手始めに、文化や歴史が学べるカレッジに通っていましたが、夏休みには2ヶ月間、欧州9カ国を旅行して、各国の文化や音楽に触れたりもしました。またその間、先の音楽事務所の社長が欧州に来られた時は、仕事のお手伝いなどもしていました。ロンドンでは、住んでいた近くのセント・メアリー・ザ・ボルトンズ(St. Mary The Boltons)教会に通いました。日本からクリスチャンが来た、と歓迎されました。牧師や副牧師の先生たちも興味を持って下さり、日本の教会のこともいろいろ話しました。英国国教会の教会で、プロテスタントとカトリックの中間的な礼拝形式と私は思いましたが、讃美歌は共に賛美しました。またその教会では、1ヶ月に1回、コーヒーを飲みながら立ち話をする催しもありました。ここで、比較的若い人たちの“The Seekers”(求道者たち)というグループに加わり、教会活動に参加しました。募金運動、老人ホーム訪問、自動ピアノのコンサート、日本の浮世絵鑑賞会、ロンドンの運河めぐりetc. etc. 友人もたくさん出来て、今も、お付き合いが続いています。時に、イスラム教のモスクやユダヤ教のシナゴーグに行ってみたこともありました。

証明写真から
ロンドンでの生活が2年半近くなった頃、突然、加納政弘先生からお手紙を頂き、結婚相手としてどうしても会わせたい人がいるから帰国するように、とのことでした。尊敬する牧師で学者であられる大先生からのお申し出でありましたので、帰国して、その人と会い、やがて結婚することになりました。帰国してからは、先の音楽事務所に再び勤めました。当時は、残業は当たり前で、現在の労働時間の規制から見ると、考えられないほどめちゃくちゃに働いていました。夫も、私が仕事で遅くなるのも、海外出張も当たり前のように考えてくれて理解を示してくれていました。大感謝です。(私は、今でも不思議に思うのです。ベルリン・フィルハーモニーや、世界トップクラスの音楽家たち、アシュケナージ、パヴァロッティ、イ・ムジチ、デューク・エリントン等々を、この頼りない私のような人間に担当させていただけたなんて! しかも、35年間も。神様のくださったありがたいお仕事でした。)
この度、“私の教会ストーリー”に参加のおさそいをいただいた時、私は少し迷いました。私のストーリー(物語 / 歴史)は、あまりドラマチックでなくて、人様のお役に立ちそうもないと思ったからです。でも、教会につながっているのはうれしい事なので、仲間に入れていただきますね?

2014年9月14日 シニアシチズンの集いで
幸いなことに、私は小さい頃から、神様は存在する、とずっと信じて生きて来ました。小さな花や星のカケラを見ても、自分自身の人生の節々での分岐点をふり返ってみても、そこに神様が居て下さったことは、確かです。私が神様を見付けたのではなく、神様のほうが、私を見付けて下さったのだから、安心です。人なみに悲しみ、苦しみ、怒り、失望し、自責の念にさいなまれることもありますが、他人にグチっても仕方ないので、私はいつも神様に頼ります。世界中が戦争だらけの昨今、何ともたまらない気持ちで、そんな理不尽な! と思うことも多いですが、これはきっと神様には深いお考えがあるのではないか? と考えて、ではどうしたら良いのですか? 私に出来る事は何ですか? と、お尋きします。そして、自分と正直に向き合って、出来ることは一生懸命にやります。でも、分かりません・・・分かる時は来ないかも知れません。しかし、今までそうであったように、神様は、きっと、私をお導き下さると信じて、祈ります。

(インタビュアー:髙橋彰、森田信義)
※1:中居京牧師・・・関東学院教会初代牧師(1946.2〜1956.3、辞任後名誉牧師、1971年引退)、関東学院の宗教主任としても奉職。
※2:石井晴美牧師・・・関東学院教会担当協力牧師(1948.4〜1950.8,米留学を経て、1952.7〜1955.9)
※3:時田信夫牧師・・・関東学院教会兼任牧師( 1955.9〜日本バプテスト横浜教会と兼牧。1961.3)
※4:下田哲牧師・・・関東学院教会牧師(1956.4〜副牧師、1959.6に受按、1962.4〜主任牧師。1967.3辞任)
※5:加納政弘牧師・・・関東学院教会牧師(1967.4〜牧師(学校と兼任)、1968.4受按、1974.4〜専任牧師、2001.3辞任後名誉牧師)











