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2025年3月1日
わたしの教会ストーリー 020 藤城眞美さん 「わたしは道であり、真理であり、命である」

わたしの教会ストーリー 020
藤城 眞美(ふじしろ まみ)さん
「 わたしは道であり、真理であり、命である」
初めて神さまに出会ったのは、教会付属の幼稚園入園でした。その時の出会いで、今の私があります。その出会いとは、教会の牧師先生と、クリスチャンホームで育ったお友達です。私の父母がその幼稚園を選んだのは、ただ、家から近いという理由だけでしたが、そのお友達の家は遠かったのに、教会付属の幼稚園に行くために、彼女は、二駅も先から電車通園してきたのでした。そこで導かれて、そのお友達と同じ学校に行きたくてミッションスクールに入り、教会学校にも行きました。

【ジョシュア・レイノルズ 作『幼きサムエル』1776年 ファーブル美術館所蔵】
学校では、土曜日が休みなのは日曜日に教会学校に行くためです、と教えられ、熱心に通いました。幼稚園のホールには、サムエルの絵が飾ってありました。少年サムエルが、神さまに「私はここにおります。主よお話しください。」(サムエル記上3章10節)と、天を仰いでいる絵です。この姿勢を忘れないで、常に、神さまに聴くことを教わりました。
小学4年の時、幼稚園の保護者向けの聖書学級に通っていた母が、洗礼を受けることになりました。私も、一緒に受けましょう、と先生より勧められ受洗しました。小学5年の時、なんと我が家の向かい側に、教会が移転してきました。高速道路建設のため教会が立ち退きを迫られ、こちらにきたのです。教会堂と牧師館が建ち、当時珍しいパイプオルガンが入りました。
中学生になると、牧師先生から、パイプオルガンを習うように言われ、教会オルガニストと中等部の音楽の先生に、教えていただきました。土曜日は、教会でお掃除、ガリ版刷りのお手伝い、奏楽の練習、日曜日は、教会学校、主日礼拝、聖歌隊の練習、次週の奏楽の練習と、私の一週間は、学校と教会しかなく、教会は、半分自宅のようでもありました。神さまは、私をしっかりとらえて下さって、すすむべき道を整えていって下さったのです。
音大のオルガン科に入った時、大オルガンの演奏はあっても、礼拝ではない入学式に、これは違うところへ来たかな? とショックを受けました。ミッションスクールから、離れて寂しく思っていたら、短大の方から平日の学校の礼拝奏楽を頼まれ、嬉しくて、週一度、通いました。卒業するとそのまま非常勤講師として、採用してくださいました。
教会ではその頃、結婚式が多くあり、牧師先生が式の祈りの時 「この二人が出会ったのは、周囲の人を配して神さまが引き合わせたのです。これを、人が離してはならない」と、奏楽している時、よくききました。母の教会のお友達の紹介で、主人と出会い結婚しました。子どもの出産も、牧師夫人の紹介でセブンスデイアドベンチストの病院でした。出産した日の夕方、讃美歌が聞こえ、いつになく感動し励まされました。牧師先生夫妻は、私の第二の父母のような存在でした。しかし、定年で退かれ、開拓伝道をなさると言われ、茨城県の方に行かれてしまいました。
その後私は横浜に移りました。小さな子供たちを連れて東京の教会まで通うのは大変でした。どうしたものかと思案していたとき、近所で、塩狩峠の映画のポスターを見ました。宣教師の方が家を解放して、小さな集会を開いていたのです。イギリス人の先生が、まだ慣れない日本語で聖書の言葉を伝えてくださいました。

【三浦綾子原作「塩狩峠」 松竹映画1973年公開】
主人の最初の転勤先は、フィリピンでした。私たちが行った頃は戒厳令がしかれていた頃で、次期大統領候補暗殺、クーデター、誘拐事件などがあり、ずいぶん怖い思いもしました。クーデターのとき、放送局が占拠され、英語の情報は、ベリタスというカトリックの放送だけになりました。飛行機が飛び交い、家の中でも流れ弾にあわぬよう、窓の高さから下にかがんで移動しました。軍の戦車の前に何人もの修道女が横たわり前進するのを阻んだ、ということをカトリックの神父から聴きました。神さまが、本当に守って下さった、と実感しています。英語を話す人が集まる教会へ行きました。礼拝でも、奏楽を弾かせていただきました。その後、日本語で聖書の言葉が聞ける集会を知りました。そこで奏楽をなさっていた日系アメリカ人の牧師夫人は、讃美歌を弾く時、これほどの恵みはないと嬉しそうで、楽しそうで、私は、奏楽は自分の信仰告白と教えられていましたので、改めて信じる喜びをもってできるようになりたい、と思いました。
その後主人の転勤で、ドイツとスウェーデンに住み、教会に通い、奏楽もさせていただきました。話す言語は違っても、聖書は一つ、讃美歌も同じメロディがあり、キリスト者はどこにあっても、皆、神にあって一つにつながっていることを、つくづく感じさせられました。海外に住むことは大変なことも多いですが、主人は、「君は教会とオルガンがあれば、どこでも暮らせるね。」と言いました。神さまがいつも共にいてくださる、と信じているからです。
現在、関東学院教会で皆様に支えていただいて心からの賛美を共にできることを、本当に感謝します。関東学院大学、関東学院六浦中高、時に出身母校でも礼拝奏楽をさせていただき、若い方が若い時に神さまを知って教会に結びついてくださるように祈って弾いています。

【関東学院教会オルガニスト、そして関東学院のオルガニストとして大学や中高でも礼拝奏楽、チャペルコンサート演奏などで奉仕されています】
【関東学院大学金沢八景キャンパス礼拝堂(関東学院教会が日曜日の礼拝で使用)にあるパイプオルガン】
讃美歌21‐520「真実に清く生きたい」
先日はある教会員の方が、オルガニスト用ガウンとオルガンシューズを献品してくださいました。とても励まされる思いでした。礼拝で奉仕する曲を考えるとき、教会暦を参考にしながら先人の信仰の深さに頭をたれ、すばらしい曲に感動し、ただただ、学ばされる毎日です。


【教会員の方の志で、オルガニスト用ガウンが献品されました】
全てを神さまに委ねて、神さまが救ってくださったという確信を持って、備えてくださった道を、召されるその日まで歩んで参りたい、と祈っています。

【2024年クリスマス主日礼拝第Ⅱ部コンサートでの演奏】
なお、その後、茨城県に移られた牧師先生は教会を建てられ、教会員の方でパイプオルガンを趣味で作られる方が、教会に献納されました。それから先生は引退して、長野県の故郷に帰られました。ちょうどバブル期で、先生のご実家も町の中心にあったため高く売れて、郊外に宅地を4区画買われ、パイプオルガンをオランダに頼み、それを入れるために教会堂を建て、牧師館、ゲストハウス、駐車場もつくり、宗教法人にしました。先生は、礼拝コンサートと称し、オルガン奏楽もメッセージの一部と言われ、私も何度か奏楽いたしました。生涯で3つ教会をたて、パイプオルガンを入れ、パイプオルガンと共に礼拝をしたいという思いで、百一才で天に召されるまで伝道に励まれ、今なお息子さんに引き継がれ、夏は、入りきれないほど多くの方が礼拝に来ておられます。先生の信仰が、神さまのみこころにかない、祈りを聞かれたことに敬服いたします。











