教会へいってみよう

関東学院教会へのアクセス

お問い合わせ

TOPICS

2022年9月24日

2022年特別企画 メッセージと朗読とイラストによる「イエスのたとえ」紹介シリーズ ⑧「愚かな金持ち」~本当の豊かさとは~

イエスのたとえ⑧「愚かな金持ち」~本当の豊かさとは~

13群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」 14イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」 15そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」 16それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。 17金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、 18やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、 19こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』 20しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 21自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

ルカによる福音書12章13-21節

聖書 新共同訳

 

 

The Rich Fool, one of the parables of Jesus No.8

13 Someone in the crowd said to him, “Teacher, tell my brother to divide the inheritance with me.” 14 But he said to him, “Man, who made me a judge or arbitrator over you?” 15 And he said to them, “Take care, and be on your guard against all covetousness, for one’s life does not consist in the abundance of his possessions.” 16 And he told them a parable, saying, “The land of a rich man produced plentifully, 17 and he thought to himself, ‘What shall I do, for I have nowhere to store my crops?’ 18 And he said, ‘I will do this: I will tear down my barns and build larger ones, and there I will store all my grain and my goods. 19 And I will say to my soul, Soul, you have ample goods laid up for many years; relax, eat, drink, be merry.’ 20 But God said to him, ‘Fool! This night your soul is required of you, and the things you have prepared, whose will they be?’21 So is the one who lays up treasure for himself and is not rich toward God.”

The Gospel According to Luke 12:13-21

The New Testament in English Standard Version

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 イエスが語られたと伝えられる「譬え」を取り上げる8回目です。「愚かな金持ち」と呼ばれてきたこの譬えは「神の国はこのようなものである」という枕詞はなく、代わりに一つのエピソードが前に置かれています。「何を言おうか心配するな、聖霊が教えてくださるから」と教えたイエスの話を聞いていた群衆の中の一人が、自分の兄弟との遺産相続のトラブルを調停してほしいと声を上げたのです。しかしイエスはその要望を拒みます。そして「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。…人の命は財産によってどうすることもできない」と言われ、この譬えを話されました。そこでこれには一つ「貪欲」というテーマがあることがわかります。

ある金持ちの畑が豊作でたくさんの収穫が得られました。金持ちは「思い巡らせ」ます。この語はルカではマリアの受胎告知の場面で使われます(ルカ1:29)。天使の告知を誰にも言えずマリアは一人で思い巡らすしかありませんでした。しかしこの金持ちはどうだったのでしょう。この譬えは1人しか登場しません。隣人、他者がいない世界です。金持ちは誰とも相談することなく、自分に問いかけ、自分に語りかけ、答えを出します。豊作の「私の収穫」は「私の倉」を立て直して「わたしの穀物財産」としてみんなしまい込み、「自分(私の魂)」に語りかけようと。

この人は誰に何の迷惑をかけてもいない、悪いことをしていないのに何を責められるかと思うかもしれません。しかし落ち着いて考えると、しまい込めないほどの収穫を獲得するのに、たった一人ですべてをまかなったのでしょうか。共働した人、雇った人たちはいなかったのでしょうか。生活を共にする人たちはいなかったのでしょうか。金持ちの意識、視界にはそうした人びとは登場しないのです。貪欲による所有はユダヤの民の、そしてキリスト者たちにとっても大きな課題であったようです(使徒5、ロマ1:29、マルコ7:22他)

「壊して」、「建てる」は旧約の預言者たちや知恵文学が、神が人びとの救いを成し遂げられる「古いものを壊され、新しい良いものを建てる」というメッセージ伝える時に用いた重要なキーワードです。神が救いを成し遂げられる業を、この金持ちは自分の貪欲を満たすために使うのです。金持ちは「自分」がこの先何年も生きられるための蓄えができたと安心して休もうとします。「食べたり飲んだり」するのも、自分を満たすためです。

ここで突然、金持ちのモノローグの世界に「神」の声が響きます。譬えで神が登場するのは非常に珍しいです。「今夜お前の命は取り上げられる」。これは伝統的には命が突然に(神に)取り上げられると受動的に読まれ、“神が突然に命を取り上げることがある”と考えられて来たりしていますが、原語では「あなたの命を彼ら(複数形)は要求する」です。ここで初めて他者が出てきます。すべて「私の」だと思っていた収穫、財産を、要求する者たちが金持ちの命を要求します。報酬や権利を不当に奪われ受けられず貧苦にあえいだ周りの人びとを想像したくなります。倉にしまわれた収穫は本来誰のものなのでしょう。冒頭の群衆の中の一人の訴えにもつながります。金持ちが年月をかけて集めて、倉にしまい込んだものは、金持ちの命を要求されるような怒りや攻撃を生み、金持ちがあずかり知らぬ、自分の命がなくなった後の、人びとの争いをもたらすことになってしまうかもしれません。「用意したもの」は、誰に属するのでしょうか。そもそも、本来、この金持ちのみに属したものだったのでしょうか。「神の前に豊かにならない」と断じたイエスは、「食べたり飲んだり」することを、いつも弟子たちや群衆と共にされ、深い憐れみによって分かち合うことを実践されながらわたしたちに真の豊かさについて教えておられます。

HOMEへ