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2022年6月5日

わたしの教会ストーリー 008 坂本進さん 「神様のおおきな導きの中で」

💒わたしの教会ストーリー 008 坂本進(さかもと すすむ)さん
「神様のおおきな導きの中で」

【写真①】関東学院大学 神学館(旧神学部の建物)の前で。

前列右端が坂本さん、その隣が嘉手納二郎師。

 私は、今年の6月で88歳になりますが、今までを振り返ってみますと、おおきな神様の導きの中を歩んできたように思います。
私は、梅の生産量が日本一の和歌山県みなべ町の出身で、教会に行き始めた時期は中学時代です。私の大伯父に、大阪歯科大学初代学長の飯塚淳一郎伯父がいるのですが、彼がかつて渡米した時に米国の「教会」で英語を学んだと聞いております。また父の弟に坂本亮一叔父がいて歯科医ですが、彼はクリスチャンで、夫婦ともに熱心に教会に通っていました。この叔父は、後に私が大学に進学するにあたっては学費の支援までして下さいました。

【写真②】叔父の坂本亮一ご夫妻

その叔父・叔母の影響もあったと思いますが、何とはなしに教会(日本基督教団南部(みなべ)教会)に行って、そのうちにご飯をご馳走になり、そのうちに自然と教会学校に通っていました。それと、私は小さい時から歌が好きでしたが、家の近くに南部教会の牧師の升崎外彦(ますざきそとひこ)先生が開校された労祷学園(ろうとうがくえん)というキリスト教の伝道・研修施設があり、休みの日にはそこに行っていました。升崎外彦先生は、賀川豊彦(かがわとよひこ)先生の弟子でありました。この労祷学園の研修施設には、毎年、関西学院大学や同志社大学のグリークラブが、それぞれ別々に合宿にやってくるのですが、そのコーラスを聴くのが楽しみで、労祷学園に行っていました。

 

関東学院大学の中居京(なかいたかし)先生と升崎外彦先生とがお知り合いの仲で、その昔、関東学院大学の鈴木さんという神学生が、中居京先生から労祷学園に行って勉強してきなさいと言われ、一人労祷学園に来られていました。その後、鈴木さんは波にさらわれて命を失うという事故に遭われました。升崎先生の勧めもあって関東学院大学を志望し、私の母の実家が土木関係の事業を営んでいたこともあり、関東学院大学の土木工学科に入ったのですが、私は理数が苦手で馴染みませんでした。私は、入学と同時に青雲寮に入り、またグリークラブにも入って学生生活を送っていたのですが、一年が終る時に、土木工学科をやめて、関西学院大学か、同志社大学に転校したいという話を、当時、教師として同じく青雲寮(せいうんりょう)におられた音楽の嘉手納二郎(かてなじろう)先生(一時期、関東学院教会のオルガニストとして奉仕されました)にお話したところ、ひどく怒られまして、関東学院大学の経済学部に転部いたしました。青雲寮では石井(いしい)晴美(はるみ)先生(関東学院教会の二代目牧師)が、本当によく面倒を見てくださり、また指導してくださいました。私は、大学1年の冬、帰省した時に、やはり関西学院大学や同志社大学のグリークラブの歌声に吸い込まれるような思いになり、和歌山の先の日本基督教団南部(みなべ)教会で、升崎外彦先生司式のもと洗礼を受けました。

【写真③】升崎外彦師を囲んで。前列中央が升崎師、その後ろが坂本さん。
升崎外彦牧師<1892-1975>:救世軍の路傍伝道で導かれ入隊、小松、仙台、出雲で伝道し、
その後、賀川豊彦の依頼で紀州南部へ赴き開拓伝道をされ、南部教会牧師、労祷学園も設立されました。

 

 関東学院大学のグリークラブでは当時、混声合唱団横浜木曜会の設立者であり指揮者であった山根一夫先生が指導して下さっていました。青雲寮は、中居京先生が寮長をしておられ、石井晴美先生も一緒に寮で生活されていました。石井先生とはこんな思い出もあります。青雲寮で初めてお会いした時に、いきなり私が和歌山の方言で「風悪いよ(ふうわるいよ。意味は格好悪いよ)」と言ったところが、次の日にお会いした時に先生から、「風悪いよ、君」と、挨拶がわりに言われたのでびっくりしました。卒業して10年目位に、京都の教会に赴任されていた石井先生に電話をしたところ、奥様がでられ、青雲寮でお世話になった坂本ですと言っても通じず、石井先生が出られたので坂本ですと言ったら、「風悪いよ、君」と言ってくださり、感激し、言葉に詰まった思い出があります。石井先生は、私が寮生としてお世話になっていた当時、毎週、関東学院教会で説教され、その説教を通してご指導頂きましたが、寮生活でも本当によく面倒を見て頂き、指導してくださいました。石井先生には、当時、私の魂を吸い取られてしまったような気持ちがします。

そういうことも影響していると思いますが、関東学院大学の学生寮の寮生に対する私の愛着は強く、数年前に、教会の宣教・教育委員の奉仕をした時に、寮生への伝道を計画いたしました。が、現在は、地方のご家庭から大学が寮生をお預かりして寮生活を送っている事情があり、教会の集会の案内のチラシでも、直接寮生に渡すことはできず、大学の学生課長を通しての配布になっていることを知って時代の変化を強く感じました。

 幸いなことに、妻と私は、1954(昭和34)年10月、中居京先生の司式、嘉手納二郎先生の奏楽で、当時の神学部礼拝堂にて結婚式を挙げることができました。寮生活での指導から始まって、嘉手納先生ご一家とは、嘉手納二郎先生が天に召されるまで、家族ぐるみのお付き合いが続きました。私の長男も何かとお世話になりました。

【写真④】1959年10月、

大学の神学部礼拝堂(日曜日には教会の礼拝も行われていました)で、

1954年10月に結婚式を挙げられました。

大学卒業後、仕事が忙しくなってからは教会を離れていましたが、ジェニンス先生の追悼会をやったことがきっかけで、また関東学院教会に通うようになりました。私は現在、自分のできることとして、和歌山の「ちぐすや」商店から味噌と醤油を取り寄せて教会員の皆様に購入頂き、収益を、教会の会堂建設会計に寄付させていただいておりますが、「ちぐすや」商店は、私の遠い親戚に当たるお店で、私の信仰生活に理解を示してくれ、有難いことに「ちぐすや」商店からも、献金をいただいております。
妻は、結婚後しばらくして「紀の国屋」という肉のお店を開いて来ましたが、高齢になり店を閉めると同時に、私と一緒に教会に通うようになりました。感謝なことに、2018年5月にバプテスマを受けました。今では、コロナで参集しての礼拝出席が制限されている期間も、夫婦で教会に行き礼拝に出席しています。
振り返りますと、私の知らないところで進むべき環境が整えられていたことに気付きます。また現在は、いろいろなことがあっても、私は、神様にお任せする心境になっていることに気付きました。もう、感謝です。

 


【写真⑤】現在の坂本さんご夫妻。

追浜チャペルにて。

毎主日の礼拝出席を生きがいで楽しみにされています。

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