牧師 髙橋彰から、あなたの心に届けたい、心に響くことば。
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【テキスト+動画】「オンラインを通して礼拝や交わりを行ってきていることの 感謝の証し」 上野耕一(わたしの教会ストーリー 004)
わたしの教会ストーリー / 2021年9月12日

「オンラインを通して
礼拝や交わりを
行ってきていることの
感謝の証し」
関東学院教会員 上野耕一
2020年春先から新型コロナウイルスの感染が広がり、いまなお感染拡大が広がり続け、収束の目途が立っておりません。感染症対策は人と人との接触を極力避けることと、マスク・咳エチケットを厳守することです。
昨年4月に緊急事態宣言が発出されて以来、教会につながるきょうだいたちが集まって主日の礼拝と賛美を捧げることも、平日の集会で聖書を通して神さまのみ言葉を分かち合い、互いに祈り合うこともできなくなってしまいました。これは、神さまとの交わりが遮断されるばかりでなく、「主なる神は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう』」(創世記2章18節)に相反するかのように、きょうだいたちとの交わり、喜びや悲しみを共にする教会が直面するわたしたちの苦難であり、試練です。
しかし、神さまはわたしたちを慰め、恵みを与えて下さりました。髙橋彰牧師や奉仕をしてくださる方たちによって礼拝や集会のオンライン配信が開始され、継続しています。これにより、わたしたちはチャペルに一堂に集まらなくても、配信されるそれぞれの場で礼拝と賛美を神さまに捧げ、またZoomミーティング形式で聖書を学び分かち合い、互いに祈り合うこともできるようになりました。
私は車いすのため、大学礼拝堂へは行かれず、追浜チャペルで行われる夕礼拝と、毎週木曜日の夜の「聖書に学び祈る会」に参加しています。それでも、悪天候の場合は参加できません。
そのような状況の中、オンライン配信は私にとって二重の喜びです。
日曜日の朝、ヘルパーさんによる支援が終わって、自宅のパソコンを立ち上げ、教会学校、主日礼拝のYouTubeリンクにアクセスします。大学礼拝堂から聞こえるパイプオルガンの前奏で、ようやく身体全体が目覚めます。そして賛美。誰にも気遣うことなく、大声で賛美します。主の祈り、祈祷、説教、献金感謝の祈り、祝祷とつづく礼拝を自宅で捧げられる恵みは、新たないのちを神さまから与えられ、新しい1週間をきょうだいたちと共に迎えられ、神さまに導かれて生きていかれる感謝と喜びで満たされます。

木曜日の朝と夕方に行われる集会も、Zoomを通して、それぞれの場から参加されるきょうだいたちの顔を見ながら、聖書のみ言葉を分かち合い、祈り合えることは感謝であり、喜びです。なぜならば、コロナ禍と障害による生きづらさを抱えて生きる私にとって、絶えず神さまに立ち返り、神さまに委ねることを覚える時であり、不安や恐れから解き放たれて希望を見出す交わりだからです。しかもオンラインで、きょうだいたちと同時刻につながって、私が直面している課題について画面の向こう側にいるきょうだいが祈ってくれる、一緒に生きていこうと呼びかけてくれることは感謝です。

礼拝と集会のオンライン配信は、コロナ禍によって散らされ、分断されかねないわたしたちに、神さまの癒しと慰め、恵みがあることを示し、再び私たちを一つにして共に祈りつづけ、神さまを信頼して、み言葉に生きる希望を与えて下さりました。
木曜日の朝に行われている「聖書に親しみ祈る会」で、私は次の聖句に目が留まりました。
「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」
(コリントの信徒への手紙二1章4節)
これは、まさにコロナ禍に生きるわたしたちに向けた神さまのみ言葉ではないでしょうか。
イエスは十字架の上で、群衆が「神がいるなら自分で救ってみろ」と嘲笑される中、「わが神、わが神、何故お見捨てになられたのですか」と叫びながら殺害されました。しかし3日後、神さまはイエスを死から復活なされ、神の救いが実現しました。そして、イエスは自分から逃げてしまった弟子たちの間に現れ、
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマ(洗礼)を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」
(マタイによる福音書28章18-20節)
と言われました。
このことは、罪人とされたイエスの仲間であったとして、絶えずイエスと同じように殺害されてしまうのではないかという脅威に晒され、またイエスへの罪悪感を抱え生きる希望を失いかけていた弟子たちにとって、どんなにか慰めであり、救いであったことでしょうか。
私は「慰め」ということを、苦難の真っ只中にあっても、神さまにすべてを委ねて礼拝し続けることによって与えられる平安と希望であると理解しています。このような恵みをオンライン配信で授かっているわたしたちは、今度は生きづらさを抱えている多くの方々を隣人として迎え、隣人が日々直面する出来事を我が事のように喜びや悲しみを共にしながら生きることへと促されているのではないでしょうか。
私の感謝と喜びの心の状況をホームページでご覧いただいている皆さん。コロナ禍でさまざまな生きづらさや、先が見えない不安と恐れを抱いていることでしょう。そのような時は、いつでも関東学院教会のYouTube、あるいはFacebookのリンクで教会学校、礼拝を視聴してみて下さい。そして、思い煩いを一旦、神さまにお委ねし、共に祈りましょう。神さまにお委ねし祈りもとめることは、助けて下さいと叫び、もとめることです。
私は毎日、ヘルパーさんや、きょうだいたちの助けを借りなければ生きていくことはできません。突発的な出来事に遭遇した時は、見も知らずの周囲の方に「助けて」と叫び、助けてもらうこともあります。私が生きていくためには、どうしようもできない自分を優しく受け入れて、しかしそこに固執せず、目の前にいる人、出会う相手を信頼し、身を委ねるしかありません。
私は、信頼し身を委ねる方と、直面する課題に共に取り組みながら、安心して、落ち着いて新たな一日を暮らしていく姿が、人間らしく豊かに生きることであり、わたしたちに託された神さまの願いであると思うのです。
このように、下を向いて悩み苦しむ自分を捨てて、神さまを信頼し、助けて下さいと祈り、もとめることです。神さまに助けもとめることによって、わたしたちは今まで気づかなかったことに気づき、見えていなかったことが見えるようになります。また、労苦や悩みを分かち合えるきょうだいと出会い、新たな交わりが始まります。そこには、神さまが必ず共にいて下さります。それこそが、神さまの慰めと恵みであり、希望であると私は思います。
関東学院教会は、皆さんのアクセスをお待ちしております!
【証しの動画はこちらからご覧ください】











