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牧師 髙橋彰から、あなたの心に届けたい、心に響くことば。

2022年特別企画 メッセージと朗読とイラストによる「イエスのたとえ」紹介シリーズ ⑦「大宴会」

イエスの「たとえ」紹介, いのちのたね / 2022年8月7日

イエスのたとえ 第7回

「大宴会のたとえ」

ルカによる福音書14章15~24節

(聖書 新共同訳)

15食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。 16そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、 17宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。 18すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。 19ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。 20また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。 21僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』 22やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、 23主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。 24言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」

 

15 When one of those who reclined at table with him heard these things, he said to him, “Blessed is everyone who will eat bread in the kingdom of God!” 16 But he said to him, “A man once gave a great banquet and invited many. 17 And at the time for the banquet he sent his servant to say to those who had been invited, ‘Come, for everything is now ready.’ 18 But they all alike began to make excuses. The first said to him, ‘I have bought a field, and I must go out and see it. Please have me excused.’ 19 And another said, ‘I have bought five yoke of oxen, and I go to examine them. Please have me excused.’ 20 And another said, ‘I have married a wife, and therefore I cannot come.’ 21 So the servant came and reported these things to his master. Then the master of the house became angry and said to his servant, ‘Go out quickly to the streets and lanes of the city, and bring in the poor and crippled and blind and lame.’ 22 And the servant said, ‘Sir, what you commanded has been done, and still there is room.’ 23 And the master said to the servant, ‘Go out to the highways and hedges and compel people to come in, that my house may be filled. 24 For I tell you, none of those men who were invited shall taste my banquet.'”

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

イエスが語った譬えを取り上げる7回目です。これと似た譬えがマタイ(22:1-14)では婚宴の譬えになっています。外典の「トマス福音書」64にも類似の譬えが記されています。「大宴会」の譬えと言われるのは16節の「盛大な(メガ)宴会(ディプノン)」に由来します。一日の中心になる食事で、夕食(ディナー)に相当するものです。宴会ですから、ただ食べるための会というだけではなく、交流の目的や効果も考えられます。誰を招きどのような内容にするか。こうして人びとは社会的なネットワークを作ってゆくわけです。イエスのたとえは強調誇張も特徴の一つですが、大勢の人を宴会に招く「ある人」(16節)は、裕福な人がイメージされます。

宴会の時刻になったので、その人は招待してあった人びとのもとに自分の僕を遣わして、準備ができたことを告げてさせました。当時の宴会は、このように事前に客を招き、承諾した人びとの数によって食事の準備をしたのです。「もう用意ができましたから、おいでください」。そこには予定された人々のために豊かな食卓が備えられています。

ところが、意外な展開が起こります。招待を受けたはずの人たちが「皆、次々に」(皆が一つになって)断り、直前にキャンセルをしたのです。ある人は「畑を買ったから」、ある人は「牛を飼ったから」、ある人は「妻を迎えたばかりなので」と。どれも、その日の約束を急に断り、夕刻にしなければならないほどの理由ではないように思えます。一説にはこれらの言い訳が申命記(律法)の言葉を暗示させるとも言われます。イスラエルの民が兵役を免除される条件として申命記20章には家を建てた者、ぶどう園を造ったばかりの者、婚約中でまだ結婚をしていない者、恐れて心ひるんでいる者は免除されるとあります。律法を盾に、招かれた人びとは参加を断りました。ここには自分のことで忙しいという以上に、申し合せられた意図的な拒絶が暗示されているようです。招いた人は何らかの理由で、拒否され、侮辱されたのです。

するとこの「ある人」は、受けた仕打ちに仕返しをするのではなく、戻ってきて報告した僕をもう一度送り出します。急いで町のあちこちの広場や路地へ出ていき、貧しい人、体の不自由な人びとを連れてきなさい、と。社会で最も貧しく困難な状況で生きざるを得ない人びとを招きなさいと。さらにまだ席があると僕が言うと、強いてでも招くようにと、再び僕を招待者として町の小道(石垣:フラグモス)へと送り出します。町を囲む石垣の周りには、隔てられた垣の外で暮らさざるを得ない人びとがたむろして居る場所でした。階層、立場、身分、人種などの障壁を超えて呼びかけ、強いて人びとの畏れや隔て、そぐわないのではとしり込みするような思いを超えさせて招き迎えられた宴会の場となりました。この「強い招き」こそ、イエスが呼びかけた神の国への招きに重なるメッセージです。

「この家をいっぱいにしてくれ。」という言葉に注目させられます。平和(シャローム)は、「満たされている」というイメージを持つ言葉です。神の平和は人びとを神の国へと強く招き、満ちあふれる喜びに連ならせてくださろうとしています。

人間たちの拒絶に神は驚かれたかもしれない。しかし神はイエスを遣わされ、貧しい者たち、病や痛み、苦難を負った人びとを誰一人もれなく迎えようと呼びかけ続けています。断った人びとには味わうことができない、平和の食卓へと。

*申命記20章
3次のように言わねばならない。「イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。 4あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである。」5役人たちは民に勧めなさい。「新しい家を建てて、まだ奉献式を済ませていない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が奉献式をするようなことにならないように。 6ぶどう畑を作り、まだ最初の収穫をしていない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が最初の収穫をするようなことにならないように。 7婚約しただけで、まだ結婚していない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が彼女と結婚するようなことにならないように。」 8役人たちは更に民に勧めて言いなさい。「恐れて心ひるんでいる者はいないか。その人は家に帰りなさい。彼の心と同じように同胞の心が挫けるといけないから。」 9役人たちが民への勧めを終えたならば、各部隊の長は民の指揮を取りなさい。

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