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牧師 髙橋彰から、あなたの心に届けたい、心に響くことば。

2022年特別企画 メッセージと朗読とイラストによる「イエスのたとえ」紹介シリーズ ⑤「ぶどう園の労働者」

イエスの「たとえ」紹介, いのちのたね / 2022年6月11日

1「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 2主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 3また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 4『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 5それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 6五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 7彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。 8夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 9そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 10最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 11それで、受け取ると、主人に不平を言った。 12『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 13主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 14自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 15自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 16このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

 

1“The Kingdom of heaven is like this. Once there was a man who went out early in the morning to hire some men to work in his vineyard. 2He agreed to pay them the regular wage, a silver coin a day, and sent them to work in his vineyard. 3He went out again to the marketplace at nine o’clock and saw some men standing there doing nothing, 4so he told them, ‘You also go and work in the vineyard, and I will pay you a fair wage.’ 5So they went. Then at twelve o’clock and again at three o’clock he did the same thing. 6It was nearly five o’clock when he went to the marketplace and saw some other men still standing there. ‘Why are you wasting the whole day here doing nothing?’ he asked them. 7‘No one hired us,’ they answered. ‘Well, then, you go and work in the vineyard,’ he told them.
8 “When evening came, the owner told his foreman, ‘Call the workers and pay them their wages, starting with those who were hired last and ending with those who were hired first.’ 9The men who had begun to work at five o’clock were paid a silver coin each. 10So when the men who were the first to be hired came to be paid, they thought they would get more; but they too were given a silver coin each. 11They took their money and started grumbling against the employer. 12‘These men who were hired last worked only one hour,’ they said, ‘while we put up with a whole day’s work in the hot sun—yet you paid them the same as you paid us!’ 13‘Listen, friend,’ the owner answered one of them, ‘I have not cheated you. After all, you agreed to do a day’s work for one silver coin. 14Now take your pay and go home. I want to give this man who was hired last as much as I gave you. 15Don’t I have the right to do as I wish with my own money? Or are you jealous because I am generous?’”
16 And Jesus concluded, “So those who are last will be first, and those who are first will be last.”

(The Gospel according to Matthew 20:1-16 The New Testament in Today’s English Version)

 

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イエスの譬えを取り上げてお話する5回目は「ぶどう園の労働者」のたとえと呼ばれているものです。
前回の「ぶどう園と農夫」(マルコ12:1-12)のたとえと同じく「ぶどう園」が舞台になっています。神の民イスラエルにとってぶどう園は、たとえば預言者イザヤの「ぶどう畑の歌」(イザヤ5章)のように、神と民の関係を思い描かせる題材でした。

今日のたとえで描かれているのは労働の内容そのものではなく、雇われるところ、そして賃金をもらうところの場面が描かれます。譬えではありますが、当時の社会のシビアな現実、経済的な格差、衝突がリアルに描かれてもいます。さまざまな事情で自分の土地を持てず日雇いの労働者になっている境遇の人びとがいます。その日仕事にありつけなければ、家族の明日のパンが得られません。一デナリオンは一日の労働賃金相当と言われますが、働けない日もあることを考えると、家族6人いたなら年間を通じて1人が一日パン1個程度になるとも試算されています。しかも、雇用はシビアに選抜され、雇用側の者たちは雇い渋りをし、弱い立場の者こそ仕事からあぶれてしまっています。なぜ夜明け頃から仕事を求めて広場に出て来た者たち皆をぶどう園に送ってくれなかったのか!一日の作業に人手が足りなさそうだとなると少しずつ雇い増すなどということをして、仕事を求める労働者たちの間に分断を作るのか!と思うと、くやしさがこみ上げてきます。ガリラヤの貧しい人びとと共に生きたイエスは不安定な立場に置かれた労働者たちの現状をよくご存じで、そしてこれらの譬えを語られ、聞いた人びとが、同じようにこの世の現実の不条理に目覚め、悟り、求め、神の招きに応えて生きはじめることを励まされたのではないか、とも想像します。

この譬えの主人は、何度も出かけていきます。天の国は出かけてゆくようなもの、「天の国のほうが人びとのもとに近づいてきた」(4:17)とイエスはいつも人びとに呼びかけていました。約束して雇われ、ぶどう園に行けた人びとがいます。心配しながら広場で待ち続けねばならなかった人たちが、何度もやってくる主人に見つけられ、ぶどう園に送られます。日没になる前に、「怠けていた」のではなく、一日中そこにいたのに見逃されていた者(どんな人だったのか)も呼びかけられぶどう園に送られます。

夕方になり、賃金を渡される時は、雇われた順番と逆に最後の者から順に配られました。先に雇われた者たちは逆に後にされる思いを味わいます。ところがこの譬えの主人は約束と気前よさだと主張します。労働時間を正当に評価して欲しい!と訴える者たちの声は無視できないものです。雇う側が自分のしたいように振る舞うことが許されるような社会は望みたくありません。
同時に、最後まで雇われなかった人の責任はその人にある!と押し付けるのではない「気前よさ」を、神の思いだと信じるならば、わたしたちはその思いをどう共有できるかも語り合いたいと思います。この譬えの直前に、イエスは金持ちの男に対して「行って、持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」(19:21)と宣言された話があります。

社会の厳しい格差の中で、この聖書の箇所から、人びとの切なる不安や不安定さ、そして招き入れ続ける主人の姿から神の御意を受け止め重んじた人びとの普段の努力で、どんな状況や境遇の者にも一日一デナリオンが渡される必要があると、「ノーマライゼーション」という福祉の充実のために運動を推進してきました。

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