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2022年2月26日

わたしの教会ストーリー 006 塚田好四郎さん 「関東学院教会との出会いと財務担当の先輩たちとの思い出」

関東学院教会との出会いと財務担当の先輩たちとの思い出」塚田好四郎

【写真:1971年4月 イースター礼拝 上↑ バプテスマ後に加納牧師(左)と。

下↓集合写真。前列左から三人目が塚田さん】

 

 1971年4月11日のイースター(復活祭)に旧関東学院大学神学部のチャペルのバプテストリー(浸礼槽:全身を沈める洗礼に使用される槽)で加納政弘牧師からバプテスマ(一般には洗礼といわれますが、全身を沈めるので浸礼と呼んでいます)を受けました。当時の時代背景は学生運動の嵐が吹き荒れ、大学が警察の力を借り秩序を回復し、教会もその嵐をまともに受けて青年たちが教会から離れてしまい、そのような時に神学部の学生だった阪井隆先生から教会に来ないかと誘いを受けました。当時、阪井隆先生は関東学院商工高等学校の聖書科の先生で、クラス担任ではありませんでしたが、聖書の授業を担当していました。阪井隆先生との繋がりがなければ今の教会生活は考えられません。これが、私と関東学院教会との出会いです。

 

それから50年の時間が過ぎました。亡き母が、わたしを紹介するときに「気まぐれで、飽きっぽい子です」と話していたことを思い出します。気まぐれで、飽きっぽい子が長い間、信仰を保つことが出来たのは教会員の方々の愛に満ちた交わりがあればこそ続けてこられたと思います。この50年の時間の流れの中で両親と二人の兄を天国に送り、多くの兄弟姉妹方との別れを経験しました。その中でも印象深いニ人の方との体験を教会ストーリーとして綴りたいと思います。

【写真下:1972年6月 花の日礼拝 右から二番目が塚田さん】

 教会の運営は信徒たちが互いに協力して奉仕して行っています。礼拝や伝道の活動など多種多様な働きの場があります。皆で献げる献金の集計や教会の収支、年間予算なども財務担当(以前は会計と呼んでいました)の奉仕者たちが担っています。わたしも会計担当の奉仕を続けてきた中で、信仰の先輩方から教えられたことが多くありました。

一人の方は鈴木利保兄です。(教会では信徒同士で主にある兄弟姉妹という意味をこめて兄、姉と呼び合う習慣もあります)私の自宅から車で7~8分と近い距離にあり、よく電話でも話をしました。幾つかのエピソードの中から一つを紹介いたします。
「塚田君、普通のカレンダーは12カ月だが教会のカレンダーは15カ月だから」。わたしが教会の財務を担当しはじめたときに鈴木兄から言われたことです。最初はこの意味していることが理解できませんでした。しばらく財務委員の奉仕を続けてゆくうちに「15カ月」の意味が理解できました。鈴木兄は答えを示すのではなく、考えさせてくれたことがわたしには良かった。 「15カ月」の意味は、牧師の夏1カ月冬2カ月の賞与を含むことで3カ月になり「目から鱗」でした。自分が働いていたときは、賞与は当たり前に与えられるものだと思っていましたが、教会全体の財務を担当する立場に立つと当たり前ではないのです。牧師を一人支えてゆくことの重さと責任を実感しました。全国信徒会で他の教会の財務の方とも、こうしたことで大いに話り合ったのも懐かしい思い出です。

もう一人の方は笹田晃幸兄です。

1983年当時、教会は週報(礼拝のプログラムや連絡事項を記した礼拝時に配布される次第書)をコピー機もなくガリ版で一枚一枚印刷するスタイルで作っており、担当していたのは丹野真人先生で、毎回制作に悪戦苦闘しているのを聞いていました。丁度私はワープロを使い始めたころでしたので、何とかこの作業を機械化したいと思って考えていました。 その頃、私の職場の上司の方が会社をリタイアすることになり、「教会には大変お世話になったので教会に献金を捧げたい」と申し出てくださったのです。「教会には大変お世話になった」と聞いたとき、あのことだなと思いました。

教会が夏休みにアメリカからのボランティアを受け入れて、約1カ月間教会の奉仕活動を行ってもらいました。その活動の1つに英会話クラスがありました。そこにその方の娘さんが参加されたのです。「参加したいが教会員でないことは問題がありますか」と問いかけがあり、「問題ありません」と返事をしました。娘さんは嬉々として参加してくれ、お父さんも喜んでいました。娘さんは中学一年生のときに骨髄性白血病を発症して学校に登校することができなくなり、病院生活をしていたのです。「娘は、結婚はできないだろう」とまで心配する嘆きの言葉も聞いていました。しかし、英会話に参加した娘の喜ぶ姿を見てとても嬉しかった、父親として娘の輝く顔を見ることができたことにとても感謝しておられたのです。このことが教会への献金に繋がったと思います。

後に娘さんの消息を確認しましたら、成人され結婚されましたが、数年後に召天されたとのことでした。

献金の申し出を聞いたときに、これは神様からの大きな恵みだと思いました。当時はまだ珍しかったワープロを購入し、これにコピー機が加われば格段に作業の効率がアップすることは自明の理でした。加納牧師に相談したら会計の笹田兄に相談してくださいと言われ、笹田兄と牧師室で話し合うことになり、それから2時間ぐらいプレゼンテーションを繰り広げ、議論しました。
最初はとても前に進むような雰囲気ではありませんでした。笹田兄もコピー機の必要性は認めつつも諸経費の増加は避けて通れないことを強調され、行きつ戻りつの状態が40~50分続きました。時間の経過とともに雰囲気は少しずつ良くなり、どのタイミングかは記憶にありませんが、笹田兄が「これからは手書きの時代ではない」と漏らし、週報作成の機械化が実現しました。

二人の信仰の先輩が、財務の奉仕を通して熱心に主イエス・キリストの教会を支えようとされている姿に、わたしも大いに影響を受け、今も教会生活と奉仕活動を続けられています。

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