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牧師 髙橋彰から、あなたの心に届けたい、心に響くことば。

2022年特別企画 メッセージと朗読とイラストによる「イエスのたとえ」紹介シリーズ ①「見失った羊」

イエスの「たとえ」紹介, いのちのたね / 2022年1月29日

「見失った羊」のたとえ

1徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。2すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。3そこで、イエスは次のたとえを話された。4「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。5そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、6家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。7言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

<ルカによる福音書15章1-7節> 聖書 新共同訳

 

1 One day when many tax collectors and other outcasts came to listen to Jesus, 2 the Pharisees and the teachers of the Law started grumbling, “This man welcomes outcasts and even eats with them!” 3 So Jesus told them this parable: 4 “Suppose one of you has a hundred sheep and loses one of them – what do you do? You leave the other ninety-nine sheep in the pasture and go looking for the one that got lost until you find it. 5 When you find it, you are so happy that you put it on your shoulders 6 and carry it back home. Then you call your friends and neighbors together and say to them, “I am so happy I found my lost sheep. Let us celebrate!’ 7 In the same way, I tell you, there will be more joy in heaven over one sinner who repents than over ninety-nine respectable people who do not need to repent.

(Luke 15:1-7 Today’s English Version)

 

羊飼いと羊は、ユダヤの人びとにとって

神と、神に養われ導かれる自分たち人間の比喩として大切に考えられてきました。

ところが、イエスの話に人びとは驚きました。

見失った1匹の羊のために、理屈や数の論理などに左右されず、

他に代わりはいない1つのいのちのためにどこまでも捜し回る羊飼いです。

こんな羊飼いは、愚かに思えますか?

あるいは、一緒に喜びたいと思いますか?

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

イエスはガリラヤ地域で宣教活動を始められ村々を巡り歩いて人びとに「神の国は近づいた」と呼びかけて福音を伝えてゆかれました。ユダヤの都エルサレム神殿に象徴されるユダヤ教の中心で律法について論議し、律法を遵守するために清浄の基準を守り通そうとする人々の生活とはかけ離れた、辺境の地域に暮らして農業や漁業、牧畜、生産業などで日々の生活をつなぐために労していた人びとのもとに、イエスは訪ねて回り、あなたのところに神の国、神の愛による働きかけが到来しています、だから神の方に向き直って迎え入れなさいと励まし勧めたのです。

その到来しているという「神の国」を人びとにより伝えるためにイエスは「たとえ話」をするという方法でなされました。たとえ話は、聴衆である人びとの日常生活に密着した題材や場面を用いながら、その話の誇張や意外な展開によって人びとに驚きや、疑問、気づきを与えました。近年教育現場では「アクティブラーニング」という言葉で学習する者が能動的、主体的に学ぶことを重視した学習方法が大事にされることを注目されています。イエスのたとえ話は、まさに聞いた人びとがさまざまに思いめぐらして反応し、応答しはじめ、神とそのみ国について自ら向き合い、心に留め、意識化し、語り出させる。その時人びとは「神の国」に迎え入れられている。そんなふうに神の国へと人びとを招き入れるアクティブラーニングだったと言えるかもしれません。

見失った羊のたとえは、ルカによる福音書では羊飼いが「失くした」と感じたところに注目させています。当時の牧畜で1人が飼育したのは30-40頭、それより多くは共同で養っていたようです。100匹の羊を持つような裕福な主人は自ら羊を飼うことなく、雇人を使います。この羊飼いは1匹がいなくなったときに「失くしてしまったのだ」と自覚した。そしてその1匹を捜しにゆきました。そして見つけたら、その羊を喜んで担いで連れ帰ります。重たいと思うのですが、その重ささえも命の重さとして喜びになったのでした。さらに一人、また一人が人びとの交わりから消えてゆく、零れ落ちてゆくかのような現実があった。しかしその中で、一人の人が見いだされる喜びを共にする。その人を捜し、心にかけ、ほかの人とともに喜ぶ。それがイエスを信じる者たちに与えられる喜びでした。

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