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2021年9月1日
わたしの教会ストーリー 003 木村満里さん 「主に導かれて」

私が初めてキリスト教に出会ったのは、小学2年の時、教室に置いてあるオルガンに興味を持ち、音を出して遊んでいるのをご覧になられたクラスの担任の先生から「オルガンに興味があるようなので、先生に付いてきちんと勉強したほうが良いですよ」と勧められ、紹介されたピアノの先生は、プロテスタント教会付属幼稚園の園長先生でした。
日ごろは厳しいレッスンを受ける緊張の連続で、楽しい思い出は何一つありませんでしたが、クリスマスは特別でした。レッスンが終わると、クリスマスツリーの飾り付けをお手伝いしながら、クリスマスが来るのを楽しみに待っていました。
クリスマスには近隣の人々やピアノの生徒、その保護者たちで幼稚園の礼拝堂がいっぱいになりました。夕方から始まるクリスマス礼拝の特別な雰囲気に、厳かな気持ちになったことを覚えています。その日のために練習をしていた「もろびとこぞりて」を大きな声で歌ったのが、讃美歌との初めての出会いでした。歌詞の意味は分かりませんでしたが、礼拝の中で園長先生がお祈りしておられた姿が今でも心に残っています。本日「証し」をさせていただくにあたり、この1ヵ月間は昔をふり返る大切な時間を与えていただきました。神様は幼い頃より私の心に信仰の種を蒔いて下さっていたことを覚え感謝いたします。
小学3年の夏休みに父親の転勤のため引っ越すことになり、クリスチャンのピアノの先生ともお別れすることになりました。それ以降、大人になるまで神様と出会いの機会もなく過ごしておりました。28歳で結婚し、数年後の1984年に連れ合いの仕事の都合でアメリカのアイダホ州に移り住むことになりました。最近のアイダホの冬は暖冬の影響で、雪が降ることは珍しくなってしまったようですが、当時は外気温が-40℃まで下がる厳しい寒さとなり、雪がたくさん降りました。窓の外できらきらと舞うダイアモンドダストに慰められながらも、家族以外、人との接触がほとんどない暮らしに、一抹の寂しさを感じておりました。
ある日、夫の仕事仲間のお連れ合いがわが家に遊びに来て、彼女がクリスチャンであることを知りました。私は以前から気になっていた神様の事をあれこれ聞いてみると「アイダホにとてもよい教会を見つけて毎週礼拝に通っているので、次の日曜日に行ってみない?」と誘ってもらい、日本語の聖書をプレゼントしていただきました。早速、次の日曜日に一緒に教会に行きました。その教会は「First Baptist Church Idaho Falls」というアメリカンバプテストの教会でした。教会のみなさんに温かく迎えていただき、主日礼拝の他に、平日の夕方から始まるバイブル・スタディや聖歌隊の練習にも加えていただき、みなさんとのお交わりに感謝の日々を送っておりました。

【写真】First Baptist Church Idaho Falls
バイブル・スタディで最初に耳にした聖書のみ言葉は「マタイによる福音書22:39『隣人を自分のように愛しなさい』」という箇所です。それまで家族や友人にそのように接して来なかった自分に気がつき、ハッとさせられました。
そのような日々を過ごしているうちに、日本へ帰国の日が近づいて来ました。この頃からなんとなく私の心の中にざわめきのようなものが起こり始めました。ある日、私の家で庭集会をしました。牧師先生や教会のみなさんとのお交わりをしながら、何かに背中を押されるように、思い切って「神様のことは何もわかりませんが、日本に帰る前にバプテスマを受けたいのです」とお話しましたら、突然の申し出に、牧師先生や教会のみなさんは一瞬驚かれたようでしたが、私のために祈ってくださいました。

【写真】教会の前景
早速、牧師先生とバプテスマを受けるための準備が始まりました。ワークブックを使っての学びですが、英語が得意でない私のために、アイダホの教会を紹介してくれたTさんが通訳を買って出てくれました。いよいよバプテスマ前の最後の勉強の日を迎えましたが、その日はTさんの都合が悪くなり、代わりに連れ合いの通訳で学びをすることになりました。これまで通訳なしには、牧師先生の言われている意味が分かりませんでしたが、この日は学びの途中から、牧師先生の話の内容がよく理解できました。その事が牧師先生にも伝わったようで、皆で大変驚き、神様が働いて下さっていらっしゃる事に心から感謝しました。1986年3月のイースター礼拝で信仰告白、バプテスマ式に与ることが出来、この日の事は忘れたことがありません。

【写真】First Baptist Churchのかたがたとの交わり
帰国前に、牧師先生がシアトルにあるバプテスト教会牧師の澤野先生に連絡してくださり、捜真バプテスト教会を紹介してくださいました。捜真教会では先日天に召された天野功先生が牧師としてお働き下さっていて、伝道師として原真由美さんがいらっしゃいました。帰国後しばらく通わせていただいておりましたが、その後、連れ合いの勤務先が新杉田に変わり、現在の家に引っ越しました。捜真教会から遠くなってしまい、娘が3才になったばかりの育児中でもあり、しばらく教会に行くことが難しい日が続きました。しかし、神様から離れた生活を続けているうちに、気持ちの上で限界を感じるようになっていました。
その後、自宅からバスで20分の所に関東学院教会があるということがわかり早速電話をしてみましたところ、電話口に出られたのは当時牧師をしておられた加納先生でした。関東学院ということもあって「学院の関係者でなくても礼拝に出席してよろしいですか?」とお聞きしましたところ、「はい、歓迎しますよ」と穏やかな声でお返事をいただき、次の日曜日に関東学院教会へ行きました。その日の礼拝は大学の教会ではなく、関東学院小学校の礼拝堂で行われていました。私はキャンパスの構内を右往左往していると、アメリカで通訳をしてくれていたTさんとばったり再会し、お互いにどうしてここに居るのか不思議な気持ちになりました。神様が引き合わせて下さったとしか思えない出来事でした。そして、捜真教会で伝道師としてお働き下さっていました原真由美さんが関東学院教会に転会しておられた事にも驚きました。
関東学院教会のみなさんに温かく迎えていただき、早速、連れ合いに、素晴らしい教会なので、ぜひ挨拶に行ってほしいとお願いしましたところ、次の主日礼拝に一緒に教会へ行くことになり、その後も時々礼拝に出席するようになりました。
連れ合いが教会に通うようになって間もなく、加納先生から「次のペンテコステ礼拝でバプテスマを受けませんか?」とお話しいただき本人に伝えましたところ、寝耳に水と言った様子で受け入れ難いようでした。それというのも連れ合いは幼いころミッション系の幼稚園に通っていたものの、父親の影響で食事の前に般若心経を唱えてからでないとご飯を食べさせてもらえなかったそうで、仏教の影響が色濃く残っているようでした。
それでもこのような神様からのお招きを逃してしまったらチャンスは2度とないような気がして、取りあえず加納先生のお話を聞きに行ってほしいとお願いし、神様に祈る日々を過ごしておりました。加納先生から人間の罪について、また神様のお話をお聴きしながら、連れ合いはバプテスマへの気持ちが固まったようでした。
祈りは聞かれて1991年5月のペンテコステ礼拝で、信仰告白とバプテスマ式に与ることができました。神様の恵みと憐みに心より感謝いたします。神様のご計画は私たち人間には計り知れませんが、神様にすべてをお委ねし、希望をもって祈り続けることの大切さを学ばせていただきました。
当時、奏楽のご奉仕を田上澄子先生のお連れ合いの田上雅章先生が毎週のように担って下さり、心に響く演奏と祈りをもって臨まれているお姿に心打たれました。そのうちに私も奏楽のご奉仕をさせて頂くことになりましたが、右も左もわからずの状態でした。ある日、捜真教会で奏楽者のための講習会に参加させていただき、そこで知り合った奏楽者の姉妹に曲の選び方をお聞きしましたところ、後日、数曲楽譜を送ってくださり、いろいろな事を教えていただき、今でも大変感謝に思っております。教会の奏楽のご奉仕は、それまで受けていたレッスンで弾くのとは違って、神様へ祈りをもってお捧げするという、もっと深い意味がある事に気付かされます。
昨年4月、コロナ禍で第1回目の緊急事態宣言が発出され、教会もみなで集まって礼拝することができなくなりました。しかし、そのような状況になってからいち早く、髙橋先生が主日礼拝のライブ配信ができるようにして下さいました。オンラインによってそれぞれの場所で礼拝を守り、髙橋先生の説教を通して神様のみ言葉に励まされ、主を賛美し、ともにお祈りできます恵みに感謝いたします。
髙橋先生が礼拝でご紹介くださいました「鹿のように」という讃美歌がありますが、静かな美しいメロディと歌詞の優しさに心慰められるものを感じます。「谷川の流れを慕う鹿のように 主よ、わがたましいあなたを慕う」と歌うたび、谷側の流れに身をまかせるように、心を神様にお委ねして生きて行けたらと願っております。
また「いつくしみ深い」も私の好きな讃美歌ですが、この曲には「祈り」という副題がついており、作詞者スクライヴェンの悲しいお話があります。スクライヴェンには婚約者がいましたが、結婚式の前日、事故で亡くなってしまいます。そのことを深く悲しみ、絶望のどん底にいた彼ですが、その後「友なるイエス・キリスト」を心から信頼し、祈ることで主イエスからの慈しみや慰めを得て、再び立ち上がることができました。
この時の経験や心境を、病に苦しむ彼のお母さんを励ますために作られた詩が、この「いつくしみ深い」と言われています。15年前、私の母が癌のため闘病しておりました時、母の病床で主に祈り、慰められた讃美歌が「いつくしみ深い」でした。
依然としてコロナ感染拡大の困難な中にあって、先の見えない不安や苦しみを覚える状況が続いておりますが、すべてをご存じの神様が、苦しみを乗り越えることのできる備えをして下さっていると信じて祈り続けたいと思います。
「あなたの言葉は私の足の灯 私の道の光。」(詩編119:105)
信仰生活の中では、牧師先生や教会のみなさまとの温かいお交わりに、たくさんの恵みが与えられますが、家族の病気や自分の努力だけで乗り越えることが難しい問題にも直面することがあります。そのような時にも牧師先生や教会の兄弟姉妹方のお祈りによって支えられ、今日まで信仰生活を続けて来られましたことを心より感謝に思っております。
※木村満里さんは、2021年9月現在も、当教会の教会学校礼拝と主日礼拝で奏楽者のお一人として奉仕を続けてくださっています。











