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2026年4月4日
わたしの教会ストーリー 026 I.M.さん 「神様に愚痴を言いながら」
わたしの教会ストーリー 026
I.M.さん
「私の教会での歩み」
1.初めてキリスト教に接したのはいつ頃ですか。
私は、小さい頃追浜に住んでいました。父が東北大学で金属を学んだあと海軍航空技術廠に勤めていた関係からです。小学校高学年の時に、田浦の社会福祉会館(現在の横須賀基督教社会館)の日曜学校に行ったのが、キリスト教に接した最初でした。きっかけは、友達が行っていて誘われたのです。友達と一緒だったこともあり、教会学校は楽しかったことが思い出されます。2~3年行きましたが、中学の時に行かなくなりました。
その後、10年以上遠ざかっていましたが、関東学院教会に初めて行ったのが、50年位前でしょうか。私は、企業の事務系の職場で働いていましたが、母が突然、50歳で急逝しました。母を亡くした悲しみと、当時6人暮らしでしたが、家庭の事は全て母が背負ってくれていましたので、私はすごく落ち込みました。その時、会社の後輩のTさんが教会に行っていて、私に教会に行くことを勧めてくれました。私は、Tさんの行っていた関東学院教会に、初めて行きました。
関東学院大学の六浦キャンパスの中にある教会で、現在の礼拝堂ではなく、大学の正門からまっすぐの奥にある旧礼拝堂でした。教会は落ち着いた雰囲気で、毎週行くようになり、徐々に気持ちも元気を取り戻してきました。そのうちに、母亡きあと自分が家庭の柱にならざるを得ない状況でしたので、漠然と教会に行くのでなく、心にしっかりとしたキリスト教の信仰を持ちたいと思うようになり、バプテスマ(洗礼)を受けたくなりました。そして、1975(s50)年8月24日に、当時の教会の牧師であられた加納政弘先生司式のもと、旧礼拝堂のバプテストリー(浸礼槽)で、バプテスマを受けました。
バプテスマを受けて、私の心はすっきりしました。母亡きあと、家庭のことは全て私がやらなければならないという責任感と圧迫感を感じていたのですが、何故か、自分自身への圧迫感から解放されました。最近、弟がポツリと「姉さんを犠牲にしてしまったよな」と言いましたが、バプテスマを受けてからは犠牲という感じは無く、母に代って家事をこなしていました。
20年間位、関東学院教会に通いましたが、その間に結婚をし、その後しばらくして夫の故郷の群馬に転居しました。主人は、群馬で召されました。主人を亡くして一人になり、3年位たって、横浜の並木に帰ってきました。数か月は教会に行けなかったのですが、Tさんが声を掛けてくださり、再び、関東学院教会に通うようになりました。教会に行くと、一人になった寂しさが薄らぎます。
振り返りますと、何かあると私は、神様に愚痴を言ってきたように思います。そして神様は、いつも次の生活を準備して下さり、整えてくださり、助けて下さいました。キリスト教の神様にめぐり会えて、良かったと思っています。
2.キリスト教や教会が初めてのかたに、お伝えしたいことはありますか。
わたしの大好きな聖書のことばは、マタイによる福音書6章34節の
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。」
です。読むたびに励まされています。
何かつらいことがあったら、神様にお願いするのが一番かと思います。何でも構わないですから、神様にお願いすることです。神様には、秘密にすることができません。ですから、何でもお願いし、また嬉しい時は、ありがとうございますと、感謝をすることも必要だと思います。
私は、時に体調を崩すことがあったり、ペットの死に直面もしましたが、そのたびに神様に愚痴をこぼしながらも、現在、教会で私に出来る範囲のことを奉仕させて頂きながら、ご近所の方とウォーキングをして元気に生活しています。
(インタビュアー:森田信義)











