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2024年3月17日

わたしの教会ストーリー 016 大島良雄師 「平安のうちに感謝に満ちて過ごす日々」

【写真上】2017年、大学平潟祭の日曜日に大学チャペル前で

わたしの教会ストーリー 016

大島 良雄(おおしま よしお) 師

(関東学院教会元協力牧師)

 「平安のうちに感謝に満ちて過ごす日々」

 

私は東京で生まれ大阪北部の十三(じゅうそう)町に住まいました。その地にはバプテストの女子神学校とその付属施設の幼稚園、宣教師館、社会活動施設のミード社会舘(しゃかいかん)、淀川バプテスト教会がありました。その幼稚園に学び、卒園後は教会の土曜学校に通い、青年会に加わり、英語学校で学び、関西学院専門部、同大学というキリスト教的教育施設で育てられました。

 

終戦後中国で宣教していたアメリカン・バプテストの宣教師が共産主義化した政府から圧迫され日本で活動するようになりましたが、活動を再開したミード社会舘にはミス・ウォーターマン(Miss Waterman)が来られ、私は会社の勤めが終わった後、彼女の自宅、YWCA、ミード社会舘で行われたバイブルクラス(Bible Class)で通訳として奉仕しました。戦火で消失した大阪淀川バプテスト教会が再建され、1949年の秋アキスリング博士(Dr.Axling)の伝道集会が催された時に入信しました。意識的に信仰を告白する機会となる集会は信仰生活に欠かせない決断の時でしょう。使用されたテキストはフィリピの信徒への手紙4章10~14節で、強調されたのは13節でした。この集会は自分の信仰を見直し、確認する時になりました。

 

やがて私は勤務先の仕事に飽き足らず社会福祉関係の仕事に関心を持ち、午前中は関西学院大学で社会福祉学を聴講し、午後から会社で働く苦学生になりました。それを知ったMiss Watermanは母教会の牧師と相談し米国の神学校に学ぶ道を開いてくれ、神学校卒業後、社会福祉を学ぶことにして留学しました。バークレー・バプテスト神学校を卒業した時、学校経営上の問題で院長排斥運動をしていた尚絅女(しょうけいじょ)学院(がくいん)の院長から同校に就任するよう再三要請され皮肉なことに最も避けたかった牧師と教師の仕事、しかも両者を兼務する仕事に就きました。紛争問題に関わることは避けて職務に忠実であるよう努力しました。ある時高校3年のクラスの担任が突然来宅され、クラスの信仰調査の結果大半の生徒が信徒になっているのを知った、と報告され敬意を表してくれました。個人的に関心のあった社会事業も研究に努め、短大で社会福祉各論の授業も担当しました。

 

【写真左】2017年12月、関東学院教会主日礼拝での説教

【写真左】2017年12月、関東学院教会主日礼拝での説教

 

短大と中高チャプレン(学校や施設で働く聖職者)と教師とを兼任の仕事にも慣れた頃、関東学院大学白山(しらやま)学長から大学宗教主任としての招聘状が届きました。当時大学のチャプレンとして素晴らしい活動をしていたジェニンス博士(Dr.Jennings)が 突然帰国したのでチャプレンが不在になり、後任として私が招かれました。白山大学長の招聘の辞には「学院の定款(ていかん)に、宗教主任をおくとあるので招聘したいが、給与規定がないので無償の働きとなる。生活の資は大学の教員としての俸給をもって充てて欲しい」というものでした。乞われれば辞さない性格のためか安定した仙台での生活を捨てて横浜での冒険的な生活を始めました。チャプレンの仕事には規定がなく、大学の宗教的行事,特に外部の施設を借りて行う入学式、卒業式、クリスマス、その他の行事のための横浜市や進駐軍の施設の借用、式典の執行、学内の毎朝の礼拝の諸準備、特別講演会のための講師の依頼、実施、天城山荘(キリスト教の宿泊・研修施設)での教職員の修養会の準備及び実施などのほか学院の諸学校の聖書研究会、YMCA、 大学青雲寮(せいうんりょう)の行事の援助、学生の指導、「告知板」,キリスト教報の発行、大学敷地内にあった事業部メッキ工場(現在の関東化成工業株式会社)での説教、日本バプテスト同盟の外国人の来客の空港への送り迎えと滞在中の接待などで、文字通り多忙を極めました。多忙な仕事を無事に果たせたのは主の憐れによるものと感謝しています。

 

わたしの教会ストーリー 015  大島(おおしま) 良雄(よしお) 師(し)(関東学院教会元協力牧師) 「平安のうちに感謝に満ちて過ごす日々」 私は東京で生まれ大阪北部の十三(じゅうそう)町に住まいました。その地にはバプテストの女子神学校とその付属施設の幼稚園、宣教師館、社会活動施設のミード社会(しゃかい)舘(かん)、淀川バプテスト教会がありました。その幼稚園に学び、卒園後は教会の土曜学校に通い、青年会に加わり、英語学校で学び、関西学院専門部、同大学というキリスト教的教育施設で育てられました。 【写真上】2017年、大学平潟祭の日曜日に大学チャペル前で 終戦後中国で宣教していたアメリカン・バプテストの宣教師が共産主義化した政府から圧迫され日本で活動するようになりましたが、活動を再開したミード社会舘にはミス・ウォーターマン(Miss Waterman)が来られ、私は会社の勤めが終わった後、彼女の自宅、YWCA、ミード社会舘で行われたバイブルクラス(Bible Class)で通訳として奉仕しました。戦火で消失した大阪淀川バプテスト教会が再建され、1949年の秋アキスリング博士(Dr.Axling)の伝道集会が催された時に入信しました。意識的に信仰を告白する機会となる集会は信仰生活に欠かせない決断の時でしょう。使用されたテキストはフィリピの信徒への手紙4章10~14節で、強調されたのは13節でした。この集会は自分の信仰を見直し、確認する時になりました。 やがて私は勤務先の仕事に飽き足らず社会福祉関係の仕事に関心を持ち、午前中は関西学院大学で社会福祉学を聴講し、午後から会社で働く苦学生になりました。それを知ったMiss Watermanは母教会の牧師と相談し米国の神学校に学ぶ道を開いてくれ、神学校卒業後、社会福祉を学ぶことにして留学しました。バークレー・バプテスト神学校を卒業した時、学校経営上の問題で院長排斥運動をしていた尚絅女(しょうけいじょ)学院(がくいん)の院長から同校に就任するよう再三要請され皮肉なことに最も避けたかった牧師と教師の仕事、しかも両者を兼務する仕事に就きました。紛争問題に関わることは避けて職務に忠実であるよう努力しました。ある時高校3年のクラスの担任が突然来宅され、クラスの信仰調査の結果大半の生徒が信徒になっているのを知った、と報告され敬意を表してくれました。個人的に関心のあった社会事業も研究に努め、短大で社会福祉各論の授業も担当しました。 短大と中高チャプレン(学校や施設で働く聖職者)と教師とを兼任の仕事にも慣れた頃、関東学院大学白山(しらやま)学長から大学宗教主任としての招聘状が届きました。当時大学のチャプレンとして素晴らしい活動をしていたジェニンス博士(Dr.Jennings)が 突然帰国したのでチャプレンが不在になり、後任として私が招かれました。白山大学長の招聘の辞には「学院の定款(ていかん)に、宗教主任をおくとあるので招聘したいが、給与規定がないので無償の働きとなる。生活の資は大学の教員としての俸給をもって充てて欲しい」というものでした。乞われれば辞さない性格のためか安定した仙台での生活を捨てて横浜での冒険的な生活を始めました。チャプレンの仕事には規定がなく、大学の宗教的行事,特に外部の施設を借りて行う入学式、卒業式、クリスマス、その他の行事のための横浜市や進駐軍の施設の借用、式典の執行、学内の毎朝の礼拝の諸準備、特別 【写真左】2017年12月、関東学院教会主日礼拝での説教 講演会のための講師の依頼、実施、天城山荘(キリスト教の宿泊・研修施設)での教職員の修養会の準備及び実施などのほか学院の諸学校の聖書研究会、YMCA、 大学青雲寮(せいうんりょう)の行事の援助、学生の指導、「告知板」,キリスト教報の発行、大学敷地内にあった事業部メッキ工場(現在の関東化成工業株式会社)での説教、日本バプテスト同盟の外国人の来客の空港への送り迎えと滞在中の接待などで、文字通り多忙を極めました。多忙な仕事を無事に果たせたのは主の憐れによるものと感謝しています。 【写真上】2019年5月、主日礼拝後、大学キャンパス中庭で 最後に近況を報告したいと思います。100才を超えた頃から心身の機能の劣化を感じる様になりましたが、街を走る自動車が年月の経過と共にその機能が劣化するのを見て、自分の身体の機能の劣化も自然現象として受容していました。ある日突然精神面の劣化を覚え、信仰の劣化について懸念するようなりました。聖書に解答を求めました。ある日普段は余り読んで居なかったソロモンの教えであると言われる「コヘレトの言葉」を読んでいた時、答を見出しました。人間の生死は神のみが係わる事で、すべての時は神の定めによる。我々に必要な事はその定めを信じることである、と言うのです。コヘレトは、全ての事に時があると述べています。全てを支配される神に全てをゆだねる信仰によって平安のうちに感謝に満ちた日々を過ごしています。    アーメン 【写真上】2023年11月、ご自宅にて

【写真上】2019年5月、主日礼拝後、大学キャンパス中庭で

 

最後に近況を報告したいと思います。100才を超えた頃から心身の機能の劣化を感じる様になりましたが、街を走る自動車が年月の経過と共にその機能が劣化するのを見て、自分の身体の機能の劣化も自然現象として受容していました。ある日突然精神面の劣化を覚え、信仰の劣化について懸念するようなりました。聖書に解答を求めました。ある日普段は余り読んで居なかったソロモンの教えであると言われる「コヘレトの言葉」を読んでいた時、答を見出しました。人間の生死は神のみが係わる事で、すべての時は神の定めによる。我々に必要な事はその定めを信じることである、と言うのです。コヘレトは、全ての事に時があると述べています。全てを支配される神に全てをゆだねる信仰によって平安のうちに感謝に満ちた日々を過ごしています。アーメン

2023年11月1日

 

【写真上】2023年11月、ご自宅にて

【写真上】2023年11月、ご自宅にて

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