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2022年8月28日
わたしの教会ストーリー 009 笹田洋子さん 「神のなされることは皆その時にかなって美しい」
💒わたしの教会ストーリー 009 笹田洋子(ささだようこ)さん
「神のなされることは皆その時にかなって美しい」

【写真①②】2022年8月 追浜チャペルで笹田洋子さんのお孫さんの結婚式が行われました。
―初めてキリスト教に接したのは、いつ頃ですか―
関東学院六浦中学校に入学した時が初めてでした。母の兄の奥さんがカトリックの信者で、そのご夫婦が教会に行く姿や、しつけの面等を通して、母は私をミッションスクールに入れたいと思っていたようです。神様は、私の母の中に働いてくださったのだと思います。
―教会に初めて行かれたのは、いつ頃ですか―
竹内(のちに福田)淳恵先生がクラスの担任で、ホームルームの礼拝の時に、きれいな声で讃美歌を歌ってくださり、初めて聞く讃美歌に感動しました。その竹内先生が、「日曜日には教会に行きましょうね」、と言われ、次の日曜日から制服で教会に行くようになりました。
―神様を信じるようになったのは、いつ頃ですか―
CS(教会学校)の高等科の時、当時、関東学院大学神学部の学生であった小浜(のちに宍戸)朗大先生と宍戸嘉子先生が熱心に聖書を教えてくださいまして、高校2年の時に、当時の大学の礼拝堂でバプテスマを受けました。当時、関東学院教会の牧師は下田哲先生でしたが、バプテスマ式の司式は時田信夫先生がしてくださいました。17歳の時の10月25日でした。下平(のちに松本)望さん、椚山(のちに雨夜)美智子さんと3人でバプテスマを受けました。下平さんは1年後輩、椚山さんは小学校が一緒で、高校生になった時に友人と関東学院教会にいらして4年ぶりに教会で再会し、信仰の友となりました。下平さんは2001年2月に天に召されましたが、七宝焼の先生で、私は彼女に七宝焼を教えていただきました。当時の青年会は活発で、指導してくださっていた先生方が神学部の学生だったこともあり、よく勉強しました。また、野球や釣りをしたりして遊びや交わりも楽しく、下田牧師ご夫妻も一緒に加わってくださいました。

【写真③】1959年10月25日当日の写真。バプテスマを受けた三人で。真ん中が笹田洋子さん。
【写真④】1962年5月 教会の青年会仲間と。
―バプテスマを受けて、変わったことはありましたか―
当時、信徒だけが礼拝後に残って聖餐式を受けていましたが、その聖餐式を見て身が引き締まる思いがしたと同時に、初めて聖餐式を受けた時、とても感激しました。特別なことを受けたという印象です。神様に対して漠然としていたものが、バプテスマを境にして、身近に感じられるようになりました。
―天に召されたご主人の笹田晃幸さんも熱心なクリスチャンでしたね―
主人は言葉での伝道は余りしませんでしたが、礼拝に出席することが信仰の証しだと思っていたように思います。熱心に教会の礼拝に出席していました。青森で公立の中学の教師をしていた時に、お寺のお堂を借りて宣教師を招いて、生徒たちに話しをしてもらったことがあったようです。 
【写真⑤】2005年クリスマス。夫の晃幸さんと。
―笹田さんは、教会の女性会であるマルタ・マリアの会でも、ご活躍されていますね―
マルタ・マリアの会では、いろいろなことをさせていただき、また楽しかったです。加納政弘先生が牧師をされていた時は、食事というとマルタ・マリアの会が作りました。お皿やお箸を人数分揃えたり、北見弥生さん、吉原千恵子さんたちと遅くまで準備したことを思い出します。素晴らしい先輩たちに囲まれて、奉仕の楽しさを教えていただきました。北見さんは、当時、関東学院女子短期大学で家庭・経済を教えておられましたが、貯金をしなさい、ということなども教わりました。






【写真⑥~⑪】マルタ・マリアの会、家庭集会にて
―教会のバザーでは、笹田さんが作られた七宝焼のネックレスやブローチを献品してくださっていますが―
一緒にバプテスマを受けた下平望さんが七宝焼の先生をしておられ、長男が幼稚園の時の昭和44年頃から教えていただきました。七宝焼は、炉から出した時の高温で真っ赤な色、その温度が下がるにつれていろいろな色に変ってゆく何とも言えない色彩の変化に魅せられています。資格を取り、作品をデパートで販売したり、七宝焼の教室を開いたりして、50年近くになります。

【写真⑫】教会ミニバザーに出品された七宝焼きのアクセサリー
―これをお読みくださっている皆様に、これだけは伝えたいということはありますか―
旧約の「伝道の書」(新共同訳ではコヘレトの言葉)の中に「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(3:11)とありますが、生を受けて80年、信仰生活に入って63年、今この時に、このような機会を与えられて顧みますと、短大生の時の白根新治先生と木村誠甫さんが中心となって紙芝居等を持って東北の教会をまわる視聴覚伝道に参加させていただきました。また、委員に加えて頂き、小浜朗大先生が立ち上げた「告知板」という大学のキリスト教広報誌の作成のお手伝いをさせていただきましたが、その時大島良雄先生が顧問をされていて、丁寧にご指導してくださり、何でも相談にのってくださいました。そしてそれは、今でも続いています。短大卒業と同時に結婚して、主人の在籍していた青森バプテスト教会に転会し、6年後横浜に戻り、主人と共に関東学院教会に加えていただきました。教会の方がた、女性会の姉妹がたも温かく迎えてくださいました。牧師は加納政弘先生に代わっていましたが、我が家で家庭集会をしたいと言うことで、毎月1回の家庭集会が始まりました。そしてクリスマスには女性会のメンバーも応援に来てくださって、岩楯幸子さんからご指導いただいたお料理で祝会をしました。コロナの前は、教会のクリスマス愛餐会で「ロールしゅうまい」や「人参ケーキ」などを楽しんでいただきました。私たち夫婦は、一時、聖路教会に在籍していましたが、その時、牧師がいない時期がありました。主人が、大島良雄先生と下田哲先生にお願いしたところ、快く説教に来てくださいました。そしてそれを、新しい牧師が決まるまで続けてくださいました。その後、私たちは、関東学院教会の礼拝に出席できればとの思いで関東学院教会への転会を希望したところ了承されましたことは、本当に感謝でした。マルタ・マリアの会で親しくお交わりいただき、奉仕の場まで許されましたことを二人で喜び、祈りました。憐れみの主、慰めの主に、心より感謝申し上げます。
中高時代の先生、教会の青年会での仲間や先生方、信仰の友、マルタ・マリアの会の良き先輩がた、今でも相談にのってくださる先生と、節目節目で、私にとって他に換えることのできない人たちを、神様は備えてくださっていたと思います。
主の計り知れない御心に、主の時に、心より感謝しています。
(インタビュアー:森田信義)
【注】
*竹内淳恵(たけうちあつえ)先生:関東学院六浦中高の英語科教諭で、キリスト者の先生でした。
*笹田さんがバプテスマを受けられた1959年、下田哲(しもだてつ)師は副牧師で1959年の6月に按手を受けられましたが、時田信夫(ときたのぶお)師が兼任牧師として日本バプテスト横浜教会と関東学院教会を兼任されており、毎月の聖餐式やバプテスマ式の礼典執行は時田師が責任を担われていました。
*宍戸朗大(ししどあきひろ)先生、宍戸嘉子(ししどよしこ)先生は笹田さんの教会学校の先生でしたが、宍戸朗大先生は伝道者となられ、のちに仙台の尚絅学院に勤められ、学院長、理事長を務められました。











